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自分の仕事をワクワクに変換する方法4つ

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最近、訪問する企業様で「ワクワク」という言葉を頻繁に聞く。 どこの会社も閉塞感満載で、週初めだというのに仕事をしている顔はすでに疲れ切っているのが見受けられる。 社員がワクワクできるような仕事にしていきたいという経営者。 反面、仕事でワクワクするようなことは無いという管理職。 そもそも、仕事でワクワクすること自体があるのか疑問という社員。 共通することは 現状のままでは、ワクワクはない ということだ。 ➽➽反応と思考停止にワクワクはない ➽気分や感情は伝染する ワクワクというのは、あくまで気分や感情の範疇 だ。 気分や感情は周囲の空気に影響される。 明るい人が部屋にいれば、それだけで周囲は明るくなる。 不機嫌な人がいれば、それだけで周囲の空気は張り詰める。 その影響範囲は人によりけりだが、 ネガティブな気分は確実に伝染する から始末が悪い。 ➽反応と思考停止にワクワクはない この 伝染の正体は、「反応」とこれに伴う「思考停止」 上司から指示されて、それをやる。これは「反応」しているだけのことだ。 業務を理解するまではそれで良い。 そしてずっと繰り返しているうちに疑問や解決アイデアが出てくる。 ここで大きく分かれてしまう。 疑問を上司や周囲に投げかけ、アイデアを問いかける。 この働きかけをやるかどうか、働きかけ続けられるかどうかで、同じ業務に対する姿勢が変わる。 働きかけ続けられず、どこかの時点で諦めてしまえば、その業務はいつしかルーティンになり、ながらでもできるようになっていく。 こうなったら、「思考停止」状態になる。 気がつけば、イヤイヤやっている状態に陥っているし、そのうち「ヤラされ感」状態になる。もうワクワクが生まれる余地はない。 少なくとも、その業務においては生まれる余地はない。 ➽➽小さなことでも「よっしゃあ!」を積み重ねていく。 ワクワクは気分・感情的なものなので、 自分がワクワクできるかどうかが鍵 。 大きなことでなくても、自分がワクワクできるようになっていけば、いつしかそれが大きなものに変わるだろう。 そのためには、 まずは小さなことでも、自分ができることを積重ねていく。もちろんちょっと背伸びすることも忘れずに だ。 他者から見て小さなことであ

映画「大脱走」から人材開発のヒントを得る

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映画「大脱走」は、「何があってもへこたれない不屈の男たちのドラマ」と語り継がれている。確かにそうだが、途中でへたってしまう人も出てくるし、諦める人もいるにはいる。それでも立ち上がる姿がそういった評価につながっているのだろう。 中学校の映画鑑賞会で、初めてこの映画を見た時、私も含めた単純でアホな男子達は、授業からいかに脱出するかを考えていたことを思い出す。ほんとに「 あの頃、僕らはアホでした 。 」を地でいっていた。 だけどその後、数回テレビで放送され、社会人になって、見落としていた所を発見し、完全にはまってしまった。 そして「なんでこの映画にはまるんだろう?」と考え始めた時から、いろいろな発見をしていることに気がついた。 特に社会人になってから、見返すと、あらあら不思議、普段、 クライアントにお伝えしている基本的なことは全部ここに描かれている ではないかということにも気がついた。だからといって私が軍隊主義ということではない。そこは間違わないでもらいたい(笑)。 (2020.07.02追記)映画「大脱走」 この映画は、2020年の時点で、60歳台前半~80歳台の男性ほとんどが、見たはずだ。スティーブ・マックイーンのバイクに乗ってスイス国境を越えようとするシーンが記憶に残っている人は多いだろう。 あるいは、エルマー・バーンスタイン作曲のマーチが耳に蘇る人もそれなりにいるだろうと思う。私もその一人で、やる気になってる時に限って、いまだに頭の中でマーチが鳴る(笑) 今回の記事は、1963年公開の映画「大脱走」を通じて、マネジメントする立場の人、リーダーシップ発揮を求められる人、チームをしっかり作り上げたい人、コーチングや指導する立場になった人、協力することを意識し始めた人、交渉を進める人、自律的な行動が求められる人など、 人材・組織開発に関するヒント になることをまとめた。また自身の開発することは何かを発見することになるだろう。ヒント満載の映画だ。 少なくとも私にとっては、こういったもののベーシックなバイブルとして位置づけて、何度も見ており、見るたびに新たな発見がある。クライアントのマネジメント層には一度は見るようにお勧めしている。 ➽➽映画「大脱走」から人材開発のヒントを得る この映画の見どころは数々あるが、 人材・組織開発

見張っているのか、見守っているのか。

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部下は見張っていないとサボるのか?  「うちの部下は真面目にちゃんと仕事をしているか?」 「うちの部下はサボってないか?」 「うちの部下はこんなこともできないのか。」・・・云々 どれも見張っているのか、見守っているのか判然としないものだ。 部下をお持ちの方からよく聞くのは「上司としては部下にもっと優しく接していく必要があると思います。」という自戒を込めた独白。 果たしてそうなのか? 【見張ること】 確かに現在は、リーダーシップの発揮が要求され、コーチングも要求され、従業員満足的にも、ともすれば「見張ること」が悪いとされがちだが、そうではない。 見張るのは、数字や結果に対して行なう ものだ。 見張ることを忘れてしまったら、問題の発見も遅れるし、リスクの回避もできなくなる。 ましてや結果の予測精度も果てしなく曖昧になるだろう。 特に現在のように不安定な状態での営業活動からもたらされる結果(売上・利益)の推移を見張らないのであれば、直近で打つべき次善の策を打てることはない。 では、何を「見守る」のか? 【見守ること】 部下は結果を出すために、行動する。 その行動の連続のなかで、能力を伸ばし、成長していく。 この 行動や成長は見守りましょう 、ということだ。 それには、部下の存在を認め、耳を傾け、環境を整えるといった尊重する姿勢が求めらることは言うまでもない。 冒頭の「優しく接する」ことが見守ることとは限らない。 いわゆる叱咤激励というのは、見守る姿勢のことを表わしているけども、厳しくすることもある。 勘違いしてもらいたくないのは、「見守ること」は、上司としての自己満足からの厳しさや、嫌われたくない思いからの優しさはとは違うということだ。いわばそれは「ぬるい」「甘い」というやつだ。 大切なことは、部下という相手を尊重する気持ちがあるかどうかということだ。尊敬できなくても、嫌いであっても、尊重できるかどうかということだ。 その尊重の表し方は人それぞれだ。つまり、あなたがAさんから尊重されたという体験を持っていても、それと同じことをただやったとしてもCさんは尊重されたという体験になるかどうかはわからない。尊重のスキルやノウハウなんてものはないのだ。 一応、上記のように何を見張り、何を見守ることが良いと