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2021年11月28日日曜日

できる企画チームのチカラ7つ

この2年間、コロナ禍の影響でどちらかといえば、自社シェアを守るための戦略が求められ続けていた。この間、従来弱みになっていたところに向き合い、しっかりと問題解決に取り組んだ企業は、結果的にそのマネジメント力が強化された。
日本国内においては、感染者数もかなり減ってきて、規制も緩和され始めているなか、いよいよ戦略的に「攻め」に転じる機運が高まってきた。
ここでものをいうのが企画力。

➽➽企画はチームで取り組む

戦略立案ももちろん企画の範疇だ。市場が多様化し、複雑化し、曖昧化し、細分化し、微細化していくなかで、製品・商品の狙う市場づくりやスイッチ、売り方、見せ方、などが求められる。

更に細かくいうと、イベント・プロモーションも含めたマーケティング、それに関する施策のプロジェクト・デザインから、そのプロジェクトの要素となるメディアやスペースやツールのデザイン、SNSなどへの発信なども含まれる。
こういった仕事は、少し前までは「企画ができる人」に集中していた。
しかし、上記のような範囲のものを一人でできる時代ではなくなったのは言うまでもない。

今はスピードが求めれる。企画して、すぐにリリースして、だめなところをすぐに修正し、また再リリースを繰り返し、成功までこぎつけるプロセスをどれだけ早くできるかが重要となる。 

このプロセスはひとつだけではない。昨今はABテストという最低2つのプランを用意し、もっというとABの中からCを創り出す必要性が出てくる場合もある。つまりは、多くのプロセスを同時並行に走らせることも求められる。
こういったことの全体を一人で考えることは到底無理な話しだ。
チームで取り組むことが必須となっているのだ。 





➽➽どんな企画チームが必要か。

少なくとも企画という仕事に限っていえば、9時~17時で終えられる仕事ではない。この時間帯にやっているのは、ほとんどの場合、企画書にまとめることやプレゼンシナリオをまとめる作業に費やされる。というのが、「企画ができる人」に集中しているパターンだった。

彼らは、それ以外の時間で、遊びながら情報収集をし、買物をしながら情報収集をし、人と話しをしながら。食事をしながら構想を練ることが多く、今でもその傾向は続いている。

そこで「企画ができる人」のチカラを分解してみれば、どんなチームが必要かが見えてくるかも知れないし、チームづくりのヒントになるかもしれないと考えた。

➽企画ができる人のチカラを分解する

まず好奇心の幅が広いということだ。深みはあればこしたことがないというだけだ。ある特定ジャンルに深みが必要であれば、その道の人に聞けば良いということを知っているし、その方が専門家が思いもつかない切り口を発見する場合もある。
好奇心を広く浅く持っているということだ。

好奇心がない人はいないだろうが、「それには興味ありません」と平然と言っている人は、天才的なものがない限り無理がある。
それとは反対に強烈に詳しいジャンルを持っている。専門家レベルではないにしろ、それでも好きなことをどこまでも深く体験し、詳しく知っている側面を合わせ持つ。ここで培った知識を他のジャンルに転換し、新たな切り口を発見したりもする。詳しいことはやたら詳しく、話しだすと止まらない程だ。

なぜこのタイミングで企画が必要か、何が目的か、何を成し遂げたいのかなど、大きなコンセプチュアルな疑問もそうだし、周囲に変化が起きたり、ブラックスワン的な出来事やトラブルが起きるとやたらと「なぜか?なぜか?なぜか?」とチャンクダウンしていくチカラを持っている。
また、それとは反対に「それで?、それで?、それで?」とチャンクアップしていけるチカラも必要だ。

これら4つのチカラが発揮されているかどうかで、企画のベースとして「勢い」が決まる。多くの場合、「なぜか」あるいは「それで」のどちらかが抜け落ちている企画は、勢いがなく、採用されないことが多い。

次に発揮されるのが、目標設定をするチカラ
適切な目標というより、その企画に乗っかっていくことになる人々の「やりたい」を引き出すような目標の設定だ。ただ数値で表すだけではなく、その意味するところ=価値を表現するチカラも含まれる。表現力を伴う目標設定力ということだ。
もちろん、企画を実現するための効果も勘案しなければならないが、かかる予算は計算できるのは当たり前のことだ。もっというとその財源をどこに求めるかまで考えられればベストだろう。

同時に必要なものが構築するチカラ
一見、バラバラなアイデア、事実情報や意見というものを一つのコンセプトに基づいて調整し、わかりやすく構築するチカラといったものだ。論理的に構築できることが重要となる。いくことは当たり前だが、これにプレゼン力が加わる。
単純にプレゼン資料を美しくまとめることに留まらず、論理的に構築されたシナリオであっても、最終的に感情に訴えるものでなければ、納得性は高くても、大抵はプレゼン相手を巻き込めないこととなる。

➽7つのチカラを発揮できるリーダーを選定する

あくまで経験から得た私見ではあるが、以上の7つのチカラは絶対で、どれかひとつでも抜けると、「攻め」の企画が生まれることはあまりない。
そして、この7つのチカラは必ず社内のどこかにいるので、そのようなメンバーでチームを作れば良い。一人で複数のチカラを持つ人もいるだろうし、一つだけでもずば抜けている人もいる。

他にもチカラとはいえないものもある。
例えば、その企画に関しては誰よりも考えたという自負から強気なところもあるし、議論の中心にいる。もちろん人の意見に耳を傾けるし、雑談好きで、雑談から新たなヒントを得られることを知っている。またリスクや失敗は恐れないというより、成功しないことを恐れている気質の人が多い。また仕事とプライベートの区別を意識していない。していないからこそ、企画という仕事を面白がっている

大事なことは、ここで、誰がそのチームのリーダーをやるかということだ。
せっかくチカラを持ったメンバーを集めてもリーダーがそのチカラを発揮できる環境を提供できなければ話にならない

あくまで、今後必要となるのは、守りよりも攻めのためのものだと考えれば、守りの思考が強い人が企画チームのリーダーになると、無難なものしか生まれないので、気をつけたい。

守り思考が強い人は、失敗を恐れているのであって、成功しないことを恐れているわけではないのだ。もともと前に進もうとするエンジンが弱いのだ。良いとか悪いとかではなく、「攻め」には弱いということだ。

くれぐれも今後、必要となるのは、「攻め」のための企画を創造するのであって、そのためのリーダーを選ぶことを忘れないようにしよう。


■2021.11.29追記  先日南アフリカで発見された変異株「オミクロン株」の感染拡大が警戒レベルに指定された。ヨーロッパ数カ国、カナダ、香港ですでに発見されている。一方でオミクロン株の感染経路はまだはっきりしておらず、これにともなう症状もはっきりはしていない。いずれにしても日本国内での規制要請が入る可能性は否めない。楽観視はできないが、 そのつもりで、要請が入って動けなくなる前に、企画を打ち出し新規客を確保することを徹底していくことが重要だ。

 

2021年11月14日日曜日

企画は「将来の現実を創ること」

前回の「これからの企画に必要なこと」の続き。
時々、企画というのは、何でしょうか?と意味を求められることがある。
それを知っても企画ができるようになるわけでもないだろうが、一応は応えるようにしている。

CreateTheRealityOfTheFuture

➽➽➽企画とは何か?

意味のみで言えば、企て画すこと。読んで字のごとし。
目的レベルでいえば、「当事者に価値をもたらすもの」
そして、私は「将来の現実を創ること」と定義している。

企画というのは、ビジネスに限っていうと、売上や利益、あるいはブランドイメージアップなどに貢献できるものをいう。単に社長や役員、社員がやりたいことをやるものでもない。

将来の現実といっても、「こうなりたい」「これを成し遂げたい」といったもので、それは現在置かれている状況から鑑みての妄想であることがほとんどだ。
この妄想を理想化し、構想化して、やっと現実味を帯びていくわけだ。

➽➽企画とマネジメント

この妄想➽理想➽構想としていくチカラを持ち合わせていない場合は、外部を頼ることになる。広告の殆どは外部を起用するのは、そういうことだ。

ところが、現在は外部を使わなくても、そこそこのものは社内の手弁当でできるようになってきたのも事実。テレビ放送で流れるCMでも明らかに素人がつくりました的なものが多くなってきているし、Youtubeで流れているような動画でもさほど差がなくなってきている。つまり、そういうチカラが社内に必要になってきているということだ。

少なくともマネジメント力があれば、その取っ掛かりをつくることはできる。だけど、管理することがマネジメントと考えており、それだけやっていればいいと思っている人には、そのとっかかりも見えないことが多いだろう。

➽➽企画書や提案書に書くこと

企画書に入る要素は5W2Hで十分だと言われている。確かにそうだ。しかしここにマネジメント力の差が出る。

以下は、管理思考の強い人には、理解できない領域であるかもしれない。管理思考の強い人を企画チームに入れるとうまく行かないのは、これらの理由が大きいことは、私の経験上でも事実だと言える。うまくいった例はない。

➽なぜ今なのか?

マネジメント力が強ければ、必ず「それがなぜ、今必要なのか」がわかるように構成されている。

「なぜ、必要か」を枠で囲んで、図で表しているとは限らない。全体的に醸し出しているとしかいいようがないものもある。表紙で粗方語っているものもある。

これが管理思考の人には、ほぼ出てこないものだ。(マネジメントと管理の違いは、いずれ)

➽どんな表現をするか?

将来の現実を創ることは、表現することは難しい。
誰も見たことがないものを、あるいは経験したことのないものを、想像上であっても体験レベルに持ち込まなければならないのだから、ハードルは高いものだ。

その高いハードルを企画書や提案書では、「難しいことをわかりやすく。」表現していることが最低限のレベルだろう。

次に「わかりやすいことを面白く。」これができれば、及第点。

そして「面白いことを端的に表現する」ことが求められる。ここまでできれば採用となる。しかし、「端的に表現する」こと自体がもっともハードルが高い。



 



2021年9月13日月曜日

優れたチームにあるもの


東京2020パラリンピックが終了して一週間が経った。今回の大会テーマの中にも「多様性」というものがあった。現在のオリパラがいずれは多様性のもとに統一される日がくるのかもしれない。それもひとつの多様性を認めるということにつながるとは思うが、それは遠い未来のことなのかもしれないと思いながら、数ある競技の中でも、もっとも印象深かったのは、車いすバスケットボール。その激しい攻防を見ながら、2013年のギネスビールのCMに「チームとは何か」を感じた投稿をしていたことを思い出した。以下、加筆修正を加えて再構成した。




優れたチームにあるもの

社内の課題解決に向けた組織横断的なチーム活動を多く見受けられるようになった。今後は、組織横断型のプロジェクトチームが発展し、事業部同士のクロスマネジメントが主流になることもあり得るだろう。
最近は社員の自発的に生まれたチームも見受けられ、社内の課題解決に向けて活動ができるといった環境が生まれてきているところもあるから、尚更だろうと実感している。

結果を出すチームの共通点

どんなチームであれ、望む結果を出すチームには共通点がある。
それを端的に表わしている動画を見つけた。
ギネスビールの2013年のCM。

Guinness beer wheelchairs basketball commercial



CMの途中のナレーションは以下の通り。 

Dedication(献身)Loyality(忠誠)Friendship(友情)
The choices we make reveal the true nature of our character.
(何を選択するか。私達の本質が明らかになる)

献身・忠誠・友情はチーミングに大切な要素であることは間違いない。
友情といっても相手を思いやるという意味に留まらず、互いの切磋琢磨といったものも含まれるだろう。
CMではそれもこれも「何を選択するか」次第ということを言っている。
ここが最も重要なメッセージだ。
チームづくりをしましょうといっても、ひとり一人の選択次第で良くも悪くもなるということを表している。
選択しても、行動が一致していなければ何にもならないということだ。
また「何を選択するか」に多様性へのメッセージも込められていると思える。

ひとり一人が自己成長・自己開発に努力し、かつチームメンバーへの協力を惜しまない。そしてどんな状態をも受け入れる多様性。共に進んでいこうとする多様性とLet'sの精神。
いずれにしても自分に対する選択なしに、メンバーに求めているだけでは、チームのカタチをしているだけで、機能しないことだ。
そういうことを表しているCMだ。

議論なき組織、チームの行末

多くの人は居心地の良い場所=仲間を持っている。
同じ価値観で同じような考え方を持ち、わかりあえる仲間はありがたいものだ。
ただそこにはある種の「偏り」も生まれる。
そしてその偏りに気づかぬまま、「合わない」という理由で、排除することもある。そこには多様性というものはない。
やっかいなことに、その自分の偏りには、なかなか気づけず、他者から指摘されても自身の正しさにこだわって、自身を固持することにもつながる。

その偏りは自分の選択なのか?
またその選択は様々な選択肢のなかから選んだものなのか?
あるいは自分を省みることなしに流されているだけなのか?
狭い世界での「自分らしさ」と勘違いしてはいないか?
広い世界を見たつもりで、単に自分が今いる場所と比較して「違い」を見ただけなのに、新たなものを選択した気持ちになっていないか?
そのためにも、いろんな人、いろんな集団・チームと言葉を交わし、議論していくことも忘れないようにしたいものだ。
そこに「真摯さ」がなければ意味はないのはもちろんのことだろう。

議論なき組織・集団から生まれたチームはビジョンに向かうことはない。
これだけは経験からはっきりと申し上げる。
ビジョンに向かっているような気になっているだけだと言ってもいいだろう。
そうした自覚があってこそ、チームの成長サイクルGRIPが機能していくものだろう。

単に学んだサイクルを回すことなら、手順通り進めれば良い。
必要なことは、「問い」を自らもつことだ。
「問い」がなければ、選択肢は生まれないのだから。

何を選択するかを問われる時代

SDGsというコンセプトが世界中で交わされ、「多様性」という言葉が象徴するように、これらが今後の企業活動の前提となっていくことは間違いなく、むしろそれを無視するような企業哲学、戦略、施策は尊敬されることはなく、敬遠される世の中に向かっている。もちろんそこには冷静さを欠いた同調圧力的なものも発生してくることも否めない。

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上記記事は2013年10月に書いたものです。
当時、台湾との行き来を頻繁にしており、機内のモニターでこのCMを知りました。現在はギネス社のCMライブラリーにはアーカイブされておりませんが、それでも愛好家はいて、そういった人がライブラリを作成してくれていました。
 
この頃は、「多様性」「ダイバーシティ」という言葉が一部の企業で使われ始めた時期です。オリパラという大きなイベントでその姿勢を示すことは大事ですが、それを過ぎてしまえば、その意味していたことがなんであったのか?それを忘れてしまいがちになることを気をつけたいものです。









2020年7月20日月曜日

経験からの学びを止めるな。

緊急事態宣言解除後、ほぼ約2ヶ月。いったん収束方向にむかっていたものの、
誰もが感染拡大防止策は続けているにはいるが、感染者数がまた増え始めてきている。もし、本当に気の緩みであるとすれば、それぞれが気を引き締めればいいわけだが、我々が更にできることは、この間で経験したことから学びを得て、次に向かうための糧とすることだろう。

➽成長の糧になるものはあるはずという問い

新型コロナウィルス、COVID-19、クラスター、自粛要請、ロックダウン、オーバーシュート、Stay Home、緊急事態宣言、医療崩壊、テレワーク、リモート、コロナ禍、ウィズコロナ、アフターコロナ、アンダーコロナ、エクモ、アビガン、コロナ疎開、コロナ離婚、オンライン会議、リアル、バーチャル、アベノマスク、新しい生活様式、三密回避、ソーシャルディスタンス、ニューノーマル、感染者数、陽性率、エピセンター、エピカーブ・・・この間さまざまな単語や言葉が飛び交い、我々は言葉を覚えながら、誰もが新しい生活様式を開始し、続け、今も続行中だ。
続行中だが、次に進むためには、生活者として、働く者として、一旦止まって見るてはどうか?どんな経験をしてきたのか?あるいは経験中なのか?
まず、この問いから見ていくことにしたい。

NeverStopLearning
















➽➽経験からの学びを止めるな

➽問い:コロナ以前とコロナ禍の行動にどのような「違い」があるか?

この問いは、緊急事態宣言中や、ウィズコロナでどんな経験をしたか・しているかを自分に問うことが目的だ。

例えば、よく聞く話しのひとつに、報道番組やニュースサイトを見る回数がコロナ以前よりも、かなり増えたというものがある。
誰もがナーバスになっていたし、正確な情報を得ようとした。
それは「生存」することを目的に正しい判断や選択をしたいと考えたからだ。

まずは、箇条書きで、順不同で構わない。思いつく限り書き出す。
この回答に正解はない。あるとすれば、自身の答えに納得できるものがあるかどうかだ。

➽問い:それらの行動を取っている時、どのような感情でいたか?

自身にとって、コロナ以前と違った行動を感情面で区別する。
感情面で区別するといっても、ざっくりで十分だ。
自分自身が心理学の専門家でないかぎり、細かく分けられないだろう。
細かくわけたところで、感情の識別トレーニングを受けている人でさえ、非常に難しい。
自分にとって、「良かったもの」「嫌だったもの」「どちらとも言えない」の3つに分けるだけで十分だ。

➽それは自助か?、共助か?それとも公助か?

感情面での区別を付けた後、更にその目的を考えてみる。
コロナ禍での行動の違いは、全てが「守る」ことが目的だったはずだ。

守るということでいえば、自助、共助、公助は防災対策の3要素だが、これは感染症対策にもあてはまることだ。
・自助とは「自分(家族)の命は自分(家族)で守る」
・共助とは「自分たち(顧客・地域・組織・グループ)は自分たちで守る」
・公助は「公的機関が守る」
「良かったもの」「嫌だったもの」「どちらとも言えない」に区別したものを、この3要素のどれに相当するかを検討してみる。

「良かった」と思えるものは、自助、共助につながっているはずだ。
どちらとも言えないというものは、望みもしない共助があったのかも知れないし、必要だけど嫌いだというものだったものかもしれない。

嫌だったもの、どちらとも言えないと捉えていたものも、少なくても自助に必要なことは理解できるだろう。
自分にとって好ましく思えないのであっても、これが共助につながっている視点があると、他者に役立つことであることぐらいはわかるだろう。

最初から公助をアテにしたということもあり得るし、その反対でまったくアテにしていなかったということもあっただろう。市場からマスクが消えた時のアベノマスクはその最たる例だろう。発表された時は多くの人が期待し、サンプルを見て落胆し、不要と思った人も多いだろう。

➽目的のない行動は形骸化し、忘れてしまいがち

感情的に嫌なものは、いやいや実行するけれど、その目的を忘れてしまうことになる。以前、「目的不明の会議は中止しても問題ないは本当か? 」にも書いたが、目的がないものはカタチだけになり、いずれ形骸化する。
いずれにしても目的がない、あるいは忘れてしまった行動は、手段が目的化してしまい、結果、形骸化したり、ついつい求められる行動そののものを忘れてしまうのは、コロナ以前であろうが、ウィズコロナであろうが、アフターコロナだろうが、常にあるので、気をつけたいところだ。

手前味噌になるが、「外出時のマスク着用」がまだ習慣化していなかった頃、ついつい忘れることが多々あった。
感染拡大防止のために必要であり、自分を守るためにも必要で、今や社会性を保つためにも必要だと捉えているが、嫌いなことには変わりはない。ただ私自身の中では、付け忘れることはなくなった。
余談だが、マスクはもはや毎日洗うという意味で下着化、Tシャツ化してきている側面もある。

➽問い:経験から次に向かうための学びは何か?

経験からの学びを得ることが目的の問いではあるが、生活や仕事の立て直しを図るためのものでもある。

「経験はいずれ美化された思い出になる。」というのは、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。経験はどこかの時点で美化される。
これには、2種類の美化補正がある。

ひとつは、経験から学びを得て、その後の向けて活かそうとする時。つまりは成長思考であり、未来思考であり、創造思考につながるものだ。前を見た時点で経験は時間の経過とともに思い出になり美化される。

もうひとつは、「昔は良かった物語」をする時。この美化時点で学ぶこともあるが、もう次の活かすことはないことを薄々感じながらも、同じことを繰り返してしまう自己肯定に帰結するものだ。これを否定するものではないが、今はその必要はないということだ。

今、必要なのは、前者の学びだ。どんな状況においても、現実は常にそこにあり、立ち向かっていかねばならないし、常にベター、ベストな状態を保って行かねばならないと考えると、コロナ禍での経験から学びを得て、次に活かしていくことも考えたいところだ。
後者の学びは、もっと数年先に嫌でも思い出すことになるだろう。

➽問い:会社としての経験からの学びは何か?

緊急事態宣言解除後から約2ヶ月経った。
元のカタチに戻ってしまった企業も多くある。
大事なことは、緊急事態宣言期間中の経験から学びを得るということだ。
はっきりとわかっていることは、元に活動状態に戻して、いくらアクセルを踏んでも、経済活動に思うようなドライブはなかなかかからないということだ。
ドライブがかからないまま、アクセルをいつまで踏み続ければ良いのか、そのうち現場から悲鳴に近いクレームが出てきてもおかしくない
そういう会社からは人は離れ、また近寄ってもこないだろう。
新たな立て直しが必要だ。
新たな立て直しなくして、ニューノーマルには向かうことはないだろう。

立て直しについてのベストウェイはまだはっきりとしたものはない。
現在目立っているのは、せいぜいがリモートワークの延長線上にあるものだ。
これはこれで一つのベターウェイだと言えるだろう。
ベストと言えるかどうかは、まだ先の話しだ。

リモートワークに移行した、時間差出勤をするようにした、チーム制にした、できることをやったが、ベストウェイが示されることは当面あるはずもなく、それぞれの企業が模索していくしかない。
まずは業績を回復させることだが、従来のやり方に感染防止策を続けていくだけでは、回復は覚束ないのはわかっているはずだ。
新たな立て直し=回復のために何が必要か?
「学びを止めるな」ということだ。

➽➽ブレーキとエンジンを同時に踏むことではないことを探す

感染拡大防止策と経済活動策を同時に実行することは、「ブレーキとエンジンを同時に踏んでいるようなものである」と巷では語られている。
感染対策と経済対策を別物として見れば、選択肢として、そのように思えるのは理解はできる。
「じゃあ、どうすればいいのか?」という疑問が出てくるのも当然だ。
しかし冷静に考えてみれば、その疑問は、コロナ以前の経済活動をそのまま維持し、続行したい・・・つまりは元のカタチに戻したい・戻りたいという考えから発生しているものだ。そうなればいいと誰もが思っているのは間違いないだろう。私もそう思うし、そう願いたいところではある。
しかし一方で、元に戻ることはないという共通認識も生まれている。
となれば、立て直していくためには、ブレーキとエンジンを同時に踏むことではないことを探す他ないだろう。
簡単に表せば、「新しい仕組み、新しいシステム」を考えて行く他ない。

現在のクライアントには、新たな立て直しのための考え方は伝えた。
ここに書いた問いも伝えてある。
今後、具体的にしていく上で、一緒に考えていくことになるが、やったことがなくてもやらねばならないことも出てくるだろう。そして当面、模索を続くことだけは間違いないだろう。

経済活動は、人の営みであって、人がいるから成り立っている。
人がいるからこそ、需要も消費も、供給も提供も生れてくる。
これにトレンドやリピュテーションが加わる。
現在は、企業としても、自助が共助につながるし、それががあってこその経済活動だ。
眼下の状況では、感染対策と経済対策は決して別物ではないし、選択肢でもないことは忘れないようしたい。

2020年3月13日金曜日

クヨクヨ呪文と完璧念仏

このところの新型コロナウィルスのパンデミック状態に不安を感じて、メンタルが弱くなっている人も見受けられる。
「どうしよう、どうしよう」と思考停止に陥り、行動が鈍っている人達がいる。
あるいは、自分の不安をかき消すためにも、不満を募らせ、批判ばかりしている人達を見ていると、こちらの気持ちが重たくなってくる。

そういう私自身も、自身のメンタルが弱りつつあるのを自覚しているので、ここから脱出するために、メンタルの弱い人の特徴を考えることにした。
私の場合、考えていけば、それが稚拙であっても、大抵のことは乗り切れた過去の経験があるからそうしている。

くよくよ考える


















クヨクヨさんの呪文。

これは既におきたことに対して、ああすればよかった、こうすればよかったと後悔しているパターン。もっと早く行動していればマスクが手に入ったのに・・・というやつだ。
また、このままいったら、ああなるかもしれない、こうなるかもしれないといって、マイナスばかりを考えて不安を抱えているパターンもある。このままトイレットペーパーがなくなったら、どうしよう・・・・という思考。
そんなクヨクヨしている時間があるのなら、「とっととできることをやりなはれ」といっても、クヨクヨパターンにはまっているので、糠に釘にしかならないのも分かる。

同じミスを繰り返し、またやってしまったと、いつまでたっても成長しない自分を罵り落ち込んでいるのも、このクヨクヨさんの内だ。
すぐに諦めてしまう割には、結果をすぐに求め、そこに至るプロセスを疎かにしている人に多いようだ。
「どうして私はできないのか」を見ようとせず、「どうせ私には無理」と諦めサイクルに入ってしまっている。

また他人の成功に腹をたてたり、妬ましく思い、祝うことをせず(ふりぐらいはしているかも)、あれぐらいのことは私にだってできると自分を慰めているのも、クヨクヨさんの内だ。
多少の努力や練習というものもせず、漫然と時間をやり過ごしてしまう人に多い。
だけども、実はそんな自身のことも知っていて、知っているからこそ、余計にクヨクヨしてしまう。成功している人が、完璧ではないにしろ、裏で努力を惜しまず、取組んでいることはわかっている。
傍から見ていると、自分のチカラを信じていないように思えるし、自分にチカラがあることさえ気づいていない

最も強烈なクヨクヨさんがいる。
一人でクヨクヨすることを嫌がり、周囲の人を巻き込み、クヨクヨタイムに付き合わせてしまっていることだ。
これによって付き合ってくれた人達のメンタルも多少はやられてしまう。
そして次回以降は敬遠される。
そのうち疎遠になるというパターン。
気がついたら、周りに誰もいないという・・・。
これだけは相手を選ぶことに気をつけたい。

なんだか自分で自分に「クヨクヨ呪文」をかけているのではないかと思える。
ヒトと比べることなく、モノゴトを多くの違った視点で捉えられるようになるといいのだが・・・。

完璧さんの念仏

リーダー的立場の人によく見かけるのだが、メンバー全員、周囲の人全員、あるいは顧客全員、全ての人に対して、満足してもらうには・・・?と考えている。
そこには、ほぼ不可能な公平性や平等性を求めている面がある。
公平・平等と満足は、ある程度は比例するが、常に格差は存在する。
格差が存在する以上は、ある一点で比例差が大きくなるのは致し方ない。

また感情的には、人を公平・平等に見ることは、本当のところは、多分無理な話だろう。
それを一応可能せしめているのが「基準」というものだ。
この基準が曖昧であったり、ないがしろにされると、一定の満足は決して得られない
満足を追求することは大事ではあるが、「過ぎたるは及ばざるが如し」。
どこかの部分で割り切りや折り合いをつけることも必要だろう。

また完璧さんは相手を満足させようとコントロールしたがる人も時折見かける。
もうこれは言わずもがな。「何様だよ、俺は!」と自己反省した方が良い。
「相手を満足させる」と「相手に満足してもらう」の間にものすごく距離があるのをわかってもらいたいところ。
誰でも他人からコントロールされたくないし、コントロールしようとしている人に対して、必ず抵抗感が生まれる
これを更になんとかしようと、コントロールしようとしても無駄なことだろう。
コントロールできるのは、コトやモノだけなので、ヒトまでできるとは思わないでくださいな。

そして最も強烈な完璧さんは、変化に弱い。
完璧にやろうとする傾向が強ければ強いほど、変化に対応できるかどうかは誰にもわからない時であっても、保証を求める。保証がなければ、パニック状態に陥り、感情的になって、爆発する人もいる。
こういう傾向のある人は、変化に対応したり、新たな試みに取り組もうとする時に、「できない理由」を延々と並べ立てる人も完璧さんに多い。できない理由の最たるものは「今まで、これでやってきたじゃないか!」という状況や環境変化を受け入れられない人達に多い。そして並べたてる理由のほとんどは、ほぼリスクに集中する。
今回の新型コロナウィルスの感染拡大についても、状況が受け入れられず、結局「何もしない」「何も変えない」と決め込んでいる人もいる。それが正解だとはいいがたいが、ひょっとするとそうかも知れない面もある。
難しいところだが、少なくとも他者への協力意識があるかないかの自覚は持っていてほしいところ。


こちらもやはり、自分で自分に「完璧念仏」を唱えているのではないかと思える。
いずれにしても、完璧にやろうとしなくてもいい「許可」を自分に出せればいいのだが・・・。

クヨクヨ呪文と完璧念仏にハマるとろくなことはないので、なんとかしたいところだ。
これらの対処法はあることにはある。

感情のコントロール

感情のコントロールは、対処法の一つではある。
おそらく、完璧な感情のコントロール方法はない。
また即効性があるものも、なかなかない。
あるとすれば、それを信じ切れるかどうかだけの差だろう。

メンタルが強い人がやっていることの一つにこの「感情のコントロール」がある。
とはいっても、メンタル強人の幾人かは、そう言われて「ああ、そうですね。そうかもね。」的な反応しか示さない。
スポーツ選手やアーティストの中でもとことん突き抜けている感じの人たちのことだ。
彼等は努力してメンタルを強くしたというより、能力やスキルを高めていくうちにメンタルが強くなっていったように思える。もちろんメンタル面の面倒を見てくれるコーチやこれに準ずる人の存在も大きい。

じゃあ、そういったコーチを常時付けていられない一般的な人は自分の感情をコントロールしていないのかというと、意外にほとんどの大人がやっている。
ただこのことに多くの人が気づいていないだけのこと。
例えば、怒りにまかせて、感情を爆発させる人はほとんどいないだろう。
つまりは抑制が効いている。
では、メンタルが強いかというと、そういうわけではない。
一時的にはメンタルが強くなっているように思えるが、実際は歯を食いしばり、感情の爆発を抑え、我慢していることが多く、これが積み重なって、メンタルを弱くしてこともあるだろう。

一時的なことを重ねていけば、強くなれるわけでもない。
では、どうしていけば、少しは軽減できるようになるのか?
これについては、長くなるので、またいずれ。

少なくとも私の場合は、考える→書く→整理するという流れで、自身の感情をある程度はコントロールしている。
一応ある程度はできているつもり、少なくとも気持ちは落ち着く。
ただ時間がかかるのが難点。

松下幸之助の言葉

困った困ったと思うから心も狹くなり、知恵も湧かないのである。
困っても困らないことである。
心配や憂いは新しくものを考え出すひとつの転機。
正々堂々とこれに取り組めば、新たな道がひらけてくる。
 by 松下幸之助。

#visiondriven #mental #くよくよ #完璧主義

2020年2月29日土曜日

強く、行く

来期(2020年度4月より)に向けて、いくつかのクライアントに共通する人材・組織開発に関するテーマ。参考になればと思う。
昨年末から1月初旬に考えていたものだが、急遽、新型コロナウィルスの影響での事業活動の縮小傾向に歯止めをかける意味もこめたものにした。

人材・組織開発方針=Fortis et Vadis 

意味は「強く、行く」。ラテン語。文法的に正しいかどうかはわからない。
人材・組織開発のテーマをいくつかの要素の頭文字を並べていった時に、「VADIS=行く」となることがわかった。
これに最近の不安と事業活動の縮小傾向に対して、「強く=Fortis」と付け加えた。

「行く=Vadis」に込めた意味

これは新型ウィルス発生のニュースが入ってくる前に打ち出していたこと。
その意味会いは以下の通り

●明確な理念とビジョン(Vison)

自社が立ち続ける位置としての理念を確認し、どこに向かうのかの将来展望までもが不明瞭では困る。
理念とビジョンが明確であれば、事業や施策の優先順位、経営方針の見直しといった柔軟な対応が可能になる。
経営陣・幹部がブレずにいれば社員も各自の目標を持ちやすくなる。
対策一つとっても、消極的選択よりも積極的選択を。

●情勢把握(Antena)

世界情勢という自社事業に直結イメージが湧きにくくても、何が起きているかをアンテナを張っておく。(※新型コロナの感染拡大スピードはそれを痛感させられている)
情報やデータを自分なりに解釈し、知見を持った人と議論することで新たな発見・発想が生まれる。
また新技術や経営手法も自ら学ぶようにする。
レガシーなものでも通用するもの・しないものを見極める。

●対話と多様性(Dialogue、Dybercity)

数年前から多様性が求められている。
特に近年は性差や価値観が合わないことを理由に避けることは、もうできない。
そもそも対話のない所には壁と断絶しか生まれない。
多様な価値観があってもそれらを統制し、活かしていく対話をしていく。

●自身が磨く知性(Inteligence)

①状況判断
今、何が起きているのか?状況を打破していくには、何を起こす必要があるかの判断ができること。
人間関係においても周囲の変化を把握し、対処する。無用なトラブルを未然に防ぐ。

②柔軟性
外部環境の変化に対し、どのように対応していくかを考え、実践する。
自らの仕事や生活をどのように対応させていくか?自身のこだわりをどう折り合いをつけていけるか?
こちらも人間関係においても必要な要素。

③創造性
既存の知識や技術を組み合わせ、新たなエッセンスを見つけることができれば可能となる。
直感的に生まれる妄想レベルのものでしかないが、これを具体化できる知識・技術を認識・習得していく。また必要なリソースも同時に明らかにしていく。
妄想は具体化すれば実現可能である。

④興味・関心
遠くで起きている情勢、一見関係なさそうな情報に対して敏感かどうかということ。
何気ない日常の中にヒントは数多く落ちている。これに気づけるかどうか。
自らの視点を持つようにする。

●スピーディな行動(Speedy Action)

VUCAな時代だからこそ、スピーディに動くことを社員に要求する。
動けば何かが見えてくる。そこから複雑・曖昧なものを分解し、活路を見出す。
そのためにも経営陣・幹部は情勢や情報に対して素早く反応・検討し、スピーディな意思決定をし、素早く社内に伝達していくこと。

「強く」に込めた意味。

感染速度が速いのは、人がつくってきた文明が発展してきたことと比例する。
これに対して政府の判断が遅いのかどうか、その内容が良いのかどうかの判断をする共通の基準は、誰も持ち合わせていないはず。
批判することは誰もができるが、だからといって、真っ向からその判断に背く活動をするものではないし、誰もそんなことはしないだろう。
政府の味方をするつもりはないが、その方針を尊重し、これから出てくるかも知れない指示命令に注意を払っていくことを最大限にしていくことぐらいだろう。

lighthouse








●病院は防波堤、企業は灯台

感染拡大に対して、いくつかの病院は「最後の防波堤」という自覚はあると聞く。
ならば企業は、「従業員、顧客、事業を守る」という意味で「灯台」であってほしい。
企業として、「従業員を守り、顧客を守り、更に事業を守る」
そうすることで、社員や顧客の不安は軽減できるだろう。
企業として、拡大路線に走れない現状では、積極的に「守り切ること」に専念することも必要だ。
特に損益とキャッシュ・フローはしっかりお願いしたい。
だからこそ「強く」とした。



#visiondriven







2020年2月11日火曜日

協力意識の自覚

このところの新型コロナウィルスに関する連日のニュース。
やれマスク不足、やれアルコール消毒液不足と騒動になっている。
「備えあれば患いなし」というのは確かなことだが、報道される内容の事実部分は事実として、それは氷山の一角。
この「氷山の下層」をどう捉えているかで、解釈の仕方も変わるだろう。
最近の騒ぎについてコミュニケーションの観点から考えた。

コミュニケーションの観点から考える

垂れ流される情報を聞き分ける

多くのコメンテータの意見は、氷山の下層を想像し、これに事実を組合せて、仮説を述べ、ああした方がいい、こうした方がいい、と発言しているが、これらの多くは「憶測」レベルからの対策。

感染症の専門家は、さすがに、「これは憶測ですが・・・」と前置きをしているが、受け取る側は専門家が言っていることなので、「事実の意見」として受け取る。
そしてこの「事実の意見」は憶測なのに、さらにコメンテータが憶測を被せる。
もはや「考察」ではなく、「恐察」っぽい「脅し」になっている。

仮説というものは、あくまで事実と事実の組合せから導き出されるもの。
そこに憶測が入る余地はない。

これらのコメンテータをとやかく言うつもりはない。
せめて、何を話しているのか?事実か?仮説か?憶測か?当てずっぽうか?の聞き分けられる耳を持ちたいものだと常に思う(私自身も含めて)。

日常レベルでできること

新型コロナウィルスに対して、日常レベルでできることに何があるのか?
・手洗い・うがい・マスク着用・アルコール消毒
あとは、これらを互いに「協力する」ことぐらいだろう。

マスクを多く持っている人は「持ってない人に提供せよ」ということではない。
また「協力しましょう」というものでもない。
ただ自身のなかに協力する意識があるかないかだけは自覚しておくということ。
いざという時に、その人の本質が露わになるということだ。
協力意識の自覚
というような話をクライアントに伝えてきた日の帰り、電車の中で、ちょっとした騒ぎに出くわした。

電車中の出来事

<以下事実のみ>
①京浜東北線でおっさんがくしゃみを連発していた
②若いマスクをしたにいちゃんが「マスクぐらいしろよ!」と怒鳴った。
③しばし口論となった。
④次の駅に着いた
⑤おっさんは降りた。
⑥新たな乗客が乗ってきた
⑦若いにいちゃんの周りで小さな拍手が起きた

<以下、思ったこと>
①マスクしてなかったオッサンが悪いのか?(疑問)
➽ハンカチを持ってなかったのか?(仮説)
➽たまたまマスクを忘れたのか?(仮説)・・・云々
  
②にいちゃんに関しては、言い方を考えなかったのか?(疑問)
➽満員電車で苛ついていたのか?(仮説)
➽それとは関係ないことでいらついていたのか?(仮説)
 
③おっさんが降りた駅は、下車予定の駅だったんだろうか?(疑問)
➽車内が「そのにいちゃんの言う通りだ」という雰囲気になったので、おっさん自身、いたたまれなくなったのか?(仮説、若干憶測)
➽なので「そそくさ」と降りたのか?(憶測)

同調圧力と協力意識   

以上のように疑問に思えたことのみから考えた結果、
あの小さな拍手は、「同調圧力」の一つだろうと思えてきた。
「皆がそうしているから」という圧力。
もちろんそこには、無言の「同調圧力」もあっただろう。
それで、おっさんは「自らを排除」することにしたのか?
自ら排除とうのは、憶測。
もしそうなら、それはそれで気の毒だし、恐ろしさを感じた。
   
マスクをしていなかったおっさんが悪いというのは簡単だ。
もちろんこれを見ながら、何もせず傍観者を決め込んでいた私も、同調圧力の加担者かも知れない。

新型コロナウィルスに限らず、この季節はインフルエンザにも注意したい時期。
もしおっさんに「伝染さない」「伝染されない」という協力意識の自覚があれば、マスクをしていたのではなかったか?
もしにいちゃんに協力意識の自覚があれば、怒鳴りつける以外の言い方があっただろうと思う。

協力意識というのは、社会生活上のマナーの源泉に通じるものでもあると思える。
また職場や仕事においても、同じだ。
自分が同調圧力をかける側になっていないか?
協力意識はあるのかないのか?
その自覚により状況に変化は生まれると考える。

それで、さらに、2011年に書いた投稿を思い出した。
「正論で協力は得られない」
やはり協力は引き出すものだと思う。

#visiondriven #協力意識 #同調圧力 #コロナウィルス

そして、日本におけるSNSにのパイオニアといえる存在の熊坂仁美さんが、更に具体的に書いていらしゃいます。


ちなみに、友人の危機管理コンサルタント:秋月雅史氏が「適度に怖がる」をコンセプトに「感染症対策のコラム」の連載を始めた。一読をお勧めしておきます。

2020年2月4日火曜日

インテリジェンス不足への危機感

経営幹部には、インテリジェンスが求められている。
先週、全く違う業種のクライアント社長お二人から、ほぼ同時に、ほぼ同じような相談を受けた。
片や「インテリジェンスある人材を育成したい」
片や「最近、弊社のインテリジェンスのなさを痛感している。」というものだった。
お二人とも、昨今の「想定外のことが起きている」日々のなかで、その影響・変化に対応できずにいる社内の空気に苛立ちを覚えているのが手に取るようにわかった。

インテリジェンスとは何か?

インテリジェンスは「知性」ではあるが、ざっと検索してみると、その要素として多く出てくるのが、以下のもの。知の巨人:田坂広志教授の2015年7月のグロービスでの講演。
 (前文省略)本当にこの社会を良きものに変えたいという志・使命感を持って歩むなら、我々は今から申し上げる7つの知性をしっかり身に付けるべきだと私は考えている。それは、「思想」「ビジョン」「志」「戦略」「戦術」「技術」、そして「人間力」の7つ。これらはすべて知性だ。(以下省略)https://globis.jp/article/2709 (全文)
上記の引用記事を読むと、田坂教授が情熱を持って話されている様子がよくわかる。

なるほど。その通りだと思う。
敢えていうなら、この講演録から感じる「情熱」も知性のうちだろう。

組織においては、ほんの一握りの人だけがこれらの要素を持つことが必要なものだと思われるかも知れないが、実はそうではない。
およそリーダー的な存在である人は誰でもこれらの知性は必要とされるだろう。

そこでクライアントに今、求められるインテリジェンスは一体なんであるかを考えることにした。

仕事の本質から考えてみる

①顧客をつくり続けること
これはいつも新規客を開拓することに留まらず、顧客の維持と拡大のこと。
マーケティングで市場を発見あるいは創出・誘導し、営業系は既存客のリピート促進し、新規客の獲得をすること。

②変革をし続けること
これは業務プロセスを形骸化させず、常に変化させ、更にはイノベーションを起こしていくこと。昔のやり方は通じないとはいうものの、その一部を変更することで、変化に対応できる可能性は高くなる。改善と変革はちがうというものの、変化に対応していくことで事業継続性は高まる。

この2つを実現するには、どうなりたいか、何を成し遂げたいかのビジョンや何のためにやるのかという志(理念)、それを実現するための戦略、戦術、技術、これらを紡ぐ人間力。やはりどれも不可欠だと思える。

じっくり取り組める環境や体力がある企業が本気で取り組めば、これらの要素は高まるだろう。
そして多くの中小企業には、そんな余裕はほぼほぼないのが実情。
その上、目まぐるしい変化の連鎖状態は悩ましい。
変化が激しく、素早く対応しなければ、「ボーッとしてるんじゃねぇよ」とチコちゃんに叱られる。

やはり情報や知識はインテリジェンスの源泉となるだろう。
田坂教授の言う「思想」も自身の世界観・価値観から来る経験と知識、他者の知見を繋いで言語化していかなければ、生まれることはないだろう。あるいは、知識として知らなければ、応用もできないことになる。
inteligence

求められているインテリジェンス

勉強ができることに越したことはない。
言葉の意味がわかなければ情報ひとつひとつの重要性もわからないし、見逃してしまう。
そしてその情報には、さまざまな分野の情報が含まれている。無視はできない。

「仕事の本質」から考えるに、これらの情報をスピーディに自分たちのビジネスに取り入れ、自ら変化させられるかどうかの知性は必要だろう。
もっというと、取り入れて紡いでいき新たなものや新たな取組を創り出せるかどうかという知性も必要になる。しかもスピーディに。

整理すると、以下の5つになる
この5つがインテリジェンスとして定義できるかどうか?
私にとっては、そのこと自体は今はどうでもよい。
ただ少なくともクライアントには、この5つを求められているのだと思える。

①状況判断力
今、何が起きているのか?このまま行けばどうなるものか?この状況を打破していくには、何を起こす必要があるかの判断ができること。これには数字データの遷移から、その数字が持つ意味を解釈するチカラも含まれる。これはビジネスそのものについてもそうだし、人間関係においても周囲の変化を把握すること求められる。

②柔軟性
さまざまな外部環境の変化に対し、自らをどのように対応させていくか?時には「こだわり」が邪魔をすることがある。このこだわりを自社や自身のなかでどう折り合いをつけていけるかだろう。こちらも人間関係においても必要な要素。

③スピード性
状況判断も、柔軟性もスピーディでなければ、周回遅れになる。つねに競争にさらされている市場において、周回遅れはやがて致命傷となる。そうなる前にスピーディに対応していくことで、退場を命ぜられることはなくなっていくだろう。

④創造性
先程書いた「情報を取り入れ、紡いで、新たなものや新たな取組を創り出していく」というのは、既存の知識や技術を組み合わせ、新たなエッセンスを見つけることができれば可能となる。そしてこれは直感的に生まれる妄想レベルのものでしかない。これを具体的なものにしていくというのも、知っていることの範囲から生まれてくる。知らないことから生まれることは、それこそ「降りてきた」ということになる。「降りてくる」現象は否定しないが、極めて稀有だ。

⑤興味・関心
状況判断できるだけの十分な情報があるとしよう。そして興味がなければ、その情報は見逃してしまうし、埋もれていく。他人の知識、既存の技術も取り入れられることはない。
さすがに自身や自社が携わるビジネスに直接関係あることに興味がない人はいないだろう。ここでいう興味の範囲は、遠くで起きている情勢、一見関係なさそうな情報に対して敏感かどうかということだし、何気ない日常の中にヒントは落ちている多々あるだろう。

自ら取りにいく姿勢を持つこと

興味・関心がなければ、情報は素通りしていく。狭い範囲での判断しかできなくなる。
それこそ、KKD(経験・勘・度胸)での判断のみになる。
これでは創造性もなにもないだろう。適切なマネジメントも不可能となる。
オペレーションすることだけになる。そしてオペレーションもどんどん形骸化する。
こうならないためにも、興味のあるものは、情報や知識という源泉へ、自ら取りに行くことが基本姿勢となる。そして興味・関心の幅を少しづつでも広めていけばいいだろう。

社内には他者の知識・技術、古参社員には専門性の高い知見もある。
テレビやインターネットな情報ソースは、たくさんある。
見渡せば、そこら中に源泉はあるのだ。

自身のインテリジェンスを開花させていくには、誰かが教えてくれるまで、クチを空けて待っているのか、自ら取りに行くのかの違いだけなのかも知れない。

とここまで書いて、いくつか自分に刺さってしまった・・・(苦笑)

#VisionDriven




2018年4月14日土曜日

北極にいてもバナナを見つけてくる人の採用に必要なこと

【突き抜けている人を探せ】

毎年春になってくると、多くの企業は新卒採用に向けて、会社説明会などを始める。
この時期、経営者や幹部からよく聞くのが、「突き抜けている人材」や「新しい風を吹き込むような人材」というイメージ。
例えて言うなら「北極にいてもバナナを見つけてくるような人」が欲しいということ。
新たな発想で物事を進めていけるような人材ということだ。
特に営業系やマーケティング系への配属となると、競合と戦うことより、独自の視点で新たな市場を築くことの方が、時として重要になることも多いからだ。

一方で、こういったある種突き抜けた人というのは、今の時代では、そもそも就活自体を敬遠する。
自分のチカラをある程度は自覚しているし、就活自体に興味がなく、自分で起業していくことに重きを置いている。
本当に突き抜けているような人材は、なかなか網には引っかかってこないだろう。

しかし同時に企業はこう考える。
「そんな人でも、さまざまな事情を抱え、就活をしている人もいなくはないはず。そういった人を採用できればいいのだ。」
そこで、「今の会社にはいない突き抜けている人材が欲しい」と採用活動を躍起になって取り組む。
そしてそういう人を採用できたとしよう。

【突き抜けた人が辞めていくあるパターン】

問題はここから発生する。
「北極にいてもバナナを見つけてくるような人」を採用したのに、
「北極にいてもバナナを見つけるどころか辞めてしまった」ということになるのだ。
これにはある種のパターンがある。

どういうことか?
突き抜けているチカラを持つ人は、自分のチカラをある程度知っているし、やりたいことも明確だ。
辞めていくのは、単純な理由の場合が多い。
「自分のチカラを発揮できる環境がない。」というこの一言だ。
もともと就活しない人材は、最初から企業が持つ環境に期待していないから就活をしないのだ。

【何が必要なのか?】

企業が求める人材像を明確にすることはいいことだし、必要だ。
その人材にこだわり求め続けていくことも企業を発展させることになる。

そして同時に「その人材がチカラを発揮できる環境が我が社にあるのか?」と問い続けることも必要だろう。
給与や福利厚生面といった、物理的な要因だけが環境ではない。
社内のコミュニケーションをよくしていけば良いということでもない。
これらは単に環境の1要素にすぎない。

【実は身近にいる「突き抜けた人達」】

面白く思うのは、この環境づくりは、何も新卒者に効果が出るということではないということ。
一人ひとりのチカラを発揮できる環境づくりにこだわり続けた企業には、
それまで埋もれていた既存の社員の能力が格段に上がっていくのを私は何度も見てきた。

人材像とその人材のチカラが発揮できる環境を再度見直してみる良い機会だと思う。



2016年8月20日土曜日

学ぶことだけが重要なわけではない

➽➽➽学ぶことが重要なわけではない

以前の記事「何からでも学ぶ人と学ばない人の違い」の続きを少々。

目指すことをやり遂げたいことや自身の変化を望むことががあれば、多くの人は自分が抱える問題や課題を解決するために何かを学ぼうとする。
ということは、反対にいえば、学ぼうとしない人は、やり遂げたいこともなければ、自身の変化を望むこともないというのかと突っ込まれそうだが、そういう話をしたいわけではない。
その話はまた別の機会に。

➽必要なことを学ぶマグネット

なんとかしたい・・・解決したいことがあって、ヒントを得たいから、何かから学ぶ人は確実にいる。その話は、以前こちらに書いた。

なんとかしたいからこそ、これはと思うオープンで行われているセミナーや研修に自費で参加したり、書籍を購入したりして、自身の知識を増やし、スキルに磨きをかけ、能力を上げていく。もちろん会社が用意した研修参加にも積極的だ。

またそういう人は、同じような人に自然に寄っていくし、同じように向上心を持った人が集まってくる。
経験上そういうものだとしかいいようがないのだが、この磁石的なものは多分存在する。「勉強ばかりしているマグネット」「勉強しないマグネット」細かくいえばキリがないが、マグネットはある。

➽必要なことを必要なだけ学ぶ?

しかし、若干落とし穴がある。
自身が今、気になっていることに対する解決策、求めていたものは、「これだ」ということで、そこだけを切り取って学び取るということだ。
これはこれで一つのやり方として否定はしない。効率的であることは間違いない。
しかし、それはあくまで自分の判断でしかない。
自身のモノの見方や考え方に偏りがなく、バイアスがなく、バランスが取れている自信があるならともかく、そうでないのなら、「これだ」の前後も含めて関連事項ぐらいも押さえておきたい。
とはいうものの、どこかで切り上げる必要もある。
目安は納得が行くところや疑問がなくなるまでがベストだろう。

必要なことを誰かに教えてもらう場合は、この前後や関連事項も合わせて伝えてもらえたりするのだが、この時の受け取る自身の姿勢にも気をつけたい。

欲しいもの(情報、知識、スキル)さえ手に入れば、その関連事項は「ああ、そうなんだ」とばかりに右から左に流すパターンだ。
この場合、肝心なことも、すぐに忘れてしまったり、勘違いしたまま覚えてしまうというオチが待っていたりする場合があるから恐ろしい。

以前にも書いたが、わかったつもりが、勘違いしたまままったく理解していないということになる。
簡単に手に入ったものは簡単に忘れてしまう傾向が人間には備わっていると聞いて「確かに」と納得したこともある身としては、気をつけたいところだ。

➽➽学ぶことの何が重要なのか

では、学ぶことは重要なのか?もちろん重要だ。
もっと言えば、その学びは、能動的、主体的である方が良い。
つまり口を空けて待っていれば誰かが餌を入れてくれるような受動的なものではなく、必要なことを自ら取りに行く姿勢と行動だ。

主体的に能動的に自律的に取りに行くこと。
これでやっと「学び」につながる。

これは研修だろうが、セミナーだろうが、書籍の読み込みだろうが、人間関係上だろうが、どれも同じだ。
そのものに自身がどのように臨むかで「学びのレベル」は変わるということだ。



ただ学んだだけでは、それは知識となるが、問題や課題をハッキリ持っていないまま、気づいて学びを得たとしても、すぐに忘れてしまうことになるだろう。

➽学ぶ前に重要なこと

自身には仕事でどんな問題を抱えており、その解決としてクリアしなければならない課題は何であるかを把握することから始めよう。
何度もいうが、これなくして身につくことは、あまりない。

ハッと気づくことがあっても、その前の自身の課題を明確に持って意識していなければ、忘れてしまうことが多い。
課題があるにも関わらず課題そのものに気づいていなければ、何度も同じことでハッとして、しっかりやらなきゃと思ってやろうとするが、それは瞬間的であって、やがて忘れ、またハッとして・・・を繰り返す。
いい加減にわかれよと周囲から呆れられてしまわないうちに前に進みたいものだ。

➽学んだ後で重要なこと

もちろん学んだ、勉強したというだけでは、せいぜいノートやメモが増えるだけで、時折それを見返すだけだろう。
次に重要なことはそれを「使い、活かす」ことだ。

自身の課題が明確で、どうすればクリアできるかの学びを得たとしても、それを使い、活かしてどのような成果を出すか、何の結果を得るかだ。

結果を出さない学びというのは、自身は「勉強した」「学んだ」「これだけのことがわかった」と自分自身は満足できるかもしれないが、決して評価にはつながらないことは理解しておきたいところだ。
評価を得ている人は何をしているかを見ているとよくわかる。

学ぶだけなら、学生の領分だと考えていたが、実際はそうではない。
最近の学生は、どんなカタチであれ、アウトプットを求められる。
それがビジネスでは、成果や結果として求められる。
いわゆるパフォーマンスということだ。
実際インターンでやってくる学生にパフォーマンスを求める企業もどんどん出てきているぐらいだ。

生活面であっても、「コスパ」が良いとかどうとか考えることがあるだろう。
それを自分に当てはめるとわかりやすいはずだ。

果たして自分は、「コスパが良い」といえるか?
学ばない人は、コスパはどんどん悪くなるのははっきりしている。
学ばない思考や姿勢にストップをかけられるの
は自分自身だけだ。

それでも、学ばない人は・・・今後は、しんどいだろうなぁ(ボソッ)・・・・。



学ぶことに関しては、こちらも参考にしてください。

2016年3月30日水曜日

何からでも学び取る人と学ばない人の違い

➽➽何からでも学び取る人と学ばない人の違い

何からでも学び取る人は、四六時中考えていると思われがちだが、どうもそういうことではなさそうだ。
学び取る人はいつでもどこにいても学び取る。こういった人の情報収集力は高いと思える。それはアンテナを立てていることに他ならないが、だからといってむやみやたらとアンテナを立てているわけでもなさそうだ。これまで関わってきた「学んでいる人」と「学ばない人」の特徴をマネジメントとコミュニケーションの観点からまとめた。そしてプラスアルファを少々。

HowToLearnTheLearner

















➽➽「賢者は愚者からも学び、愚者は誰からも学ばない」

賢い者は愚かな者からも学び取る姿勢を持つ。でも、愚かな者は賢い者からも学ぼうとしないというもの。ドイツ帝国初代宰相ビスマルクの言葉。
ビスマルクはもう一つ「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とも残している。
ここで言っている歴史は、単に教科としての歴史というより、先人の経験から生まれた知恵や知識ということだし、後者の経験は自分ひとりの、強めに言えば独りよがりの考えということだ。
結局どっちでもいいのだが、賢明な人は他者から学び、成長するけれど、独りよがりな人は、成長しないということを言っている。
このビスマルクの2つの言葉で示されていることは、相対的だが、マネジメントにあてはめると、さもありなんと言える。

➽学ぶ人は事例に示される「方法」を聞いていない

多くの人は、他者の経験や成功事例を聞くことで、「それ」を学ぼうとする。
学ぶ人と学ばない人では、成功事例に対する「それ」を見ているところが違う。

●学ばない人は、どうやるのかの「それ」=方法ばかりを見る。
方法=やり方ばかりを入手し、これを自分にもあてはめようとする。
つまりマネジメントPDCAのDに焦点があたっている。

ライフハック、ワークハック(生産性を上げるための簡単なやり方)といえば聞こえはいいが、一見、学んでいるように見えて、実際は都合のいいようにコピーしているだけだ。そしてそれで上手くいくことは、ほとんどない。
そして、「あれは使えない」となる。

あるいは、方法だけを見ていると、自分にはできない箇所が出てくると、いかにできないかの理由に終始する。
そうするとせっかく教えてもらった成功事例から蓄積されることは何もない。単に知っているだけとなる。蓄積されるのはせいぜいが「できない」「やったことない」「どうせできない」という思いだけとなる。

●学ぶ人の「それ」は、その方法に至ったプロセスや経験を見ている。
誰しも良い結果が出た事例の方法には、もちろん興味を持つ。
それは学ぶ人であっても同じ。しかし学ぶ人はそこに留まらない。

方法そのものは課題が存在して、それを解決するためのものだ。
学ぶ人は確立された方法そのものに加えて、確立に至ったプロセスはどんな状況であったのか、そしてどんな経験をしていたのかを見ている。
つまりマネジメントのPDCAののうち「C]に焦点があたっていて、自分の「P」に活かそうとする

どんな状況であれば、どのようにすれば失敗するか、あるいはそれを回避するためにどう考えたかといった確立までのプロセスを知ろうとする。
そこにどんな課題があるのかを知ろうとしている。
そういったプロセスまでの経験を理解できれば、自分の企画・計画の実現可能性は高められるし、リスク回避にもつながる。
さらにこの他者の経験を活かすことで、自分の経験値を高めていけることになる。

➽➽コミュニケーションの取り方で差が生まれている

➽聴く相手を選ばない

また学ぶ人は、他者に分け隔てがないということだ。
部下だろうが、先輩だろうが、他の業界だろうが、関係ない。
そのプロセスと経験の内容をしっかりと聴いている。
しっかりと聴いているので、相手にとっては信頼できる人となり、もっと話したいと思うだろうし、反対に相談したいとも思えてくるだろう。
そうなると相乗効果で、どんどん知識・知恵が蓄積されていく

➽学ばない人のやりがちなコミュニケーション

そうすると、学ばない人はどのようなコミュニケーションを取っているのかということになるが、独りよがりの考えに陥っていることが多い。
そして以下の4つはよく見かけることとしてまとめた。

●条件反射的に「それって何?」と聞いてしまっている
「それって何?」「何のこと?」と後輩や部下に、なにしろ他人にすぐに聞く。
知らないことに対して条件反射的に「それは何?」と聞く。

もちろん急ぎの時は、誰でもすることだし、しない人はいないだろう。
しかし、すぐに聞くことが癖になってしまって、ちょっと検索してみれば入手できる言葉の意味や、一次情報的なものまで、時間があっても自ら調べることはない傾向がある。
そしてそれで覚えていればいいが、書き留めることもないので、すぐに忘れる。
極端にいえば、知識にさえならないままで終わる。

●知りたいことだけ=欲しい答えだけ聞ければ後はスルーしてしまう
雑談を無駄という人、知りたいことだけ聞く人は、結論を早く欲しがる。
学びがなく、想像力が働かないから、はやく結論を求めることになる。
これは上記した方法ばかりを追いかける人達の典型で、「どうすればいい?」と自分が欲しい答えを求める質問ばかりを繰り返す人だ。

相手が良かれで詳しく話してくれたとしても、方法しか聞いてないので、後のことは時間の無駄かのように、スルーする。
実はスルーしたことにこそ、大切なことがあったりするのだが、切り捨てているので、知りたいことだけがわかれば、後はどうでもよくなっている。気をつけたいところだ。

どうすればいい?という前に、自分が何を知りたいのかの「問い」を持っていないから、そういう質問になってしまうのだろう。

わかりやすい例をあげると「3分間クッキング」だ。ライフハックの先駆けとも言える番組だ。確かにテレビを見ているとその方法で料理していけば、3分間でできてしまう。極めて時短料理の出来上がりだ。
しかし学んでいない人は、それより以前に下ごしらえというものがあることを見ていないし、見過ごしてしまっているのか、あるいは知らないので、「こうすれば簡単にできる」と捉えてしまう。
それで、いざやってみると、とても3分間ではできないし、下ごしらえに気づいた時には、「めんどくさい」となって放り出してしまう。
また誰でも簡単に3分間でできると思っているので、誰かに「ちゃちゃっとやって」と平気で言えてしまうというわけだ。

●「興味ない」とシャットダウン
このところ、よく耳にする言葉で「興味ありません」「キョーミねぇ」というものがある。知りたいと思えば、検索すればすぐに手に入る時代ではあるので、さもありなんと思う。
しかしながら知りたいと思った時は、もう手遅れになってしまっていることもあることを彼らは知らなかったりする。

●検索でも差が出る
単なる言葉の意味や、一次情報を入手するだけなら、その言葉そのものを入力し検索すれば、誰でもすぐに回答は得られる。
学んでいる人の場合、それ以上のヒントを得るのが上手い。
学んでいる人は、自分が求めていることが何かを自分で理解しているので、検索ワードの組み合わせが生れる。語彙力の問題でもある。

➽➽何からでも学び取る人は、問いを持っている

➽自ら問いを持ちアンテナを張る。

自ら問いを持つということは、その回答も自分で出すことに通じる。
そして「問い」を持つことが、自身がアンテナを張るということにも通じる
アンテナを張っていれば、回答へのヒントは、様々なところで発見できるようになる。

まずは新聞だろう。デジタル版なら場所を問わないので、これは基本。
新聞を読むのは社会人なら当たり前だが、近年読む人が少なくなってきているし、本を読む人も減少傾向にあると言われている。
何を読めばいいのかわからないという人は、自らの「問い」を持っていない証拠だと言える。

本といってもビジネス書に限らない、「問いを持つこと」が小説も含めてあらゆるメディアやエンタテイメントからでもヒントを得ることはできる
それでは楽しめないではないかという声もあるだろうが、そういう楽しみ方もあるということだし、なんとなれば、複数回観れば良いことだ。
楽しみだけなら消費だが、学びは蓄積されていく。

➽学びをサイクル化する

まず知識や情報が土台としてある
知識や情報は自身が経験することで活かされる。
しかし全てを経験することは、ほとんど不可能だ。
そこで他者の知識と経験を知り、これを自分に活かす。
この時点で知恵が働らき、工夫が生れる

自ら編み出した工夫なのだから、トライしてみたくなる。
モチベーションも高くなる
そうすると動きも出てくる
多少失敗しても、そこから更に学ぶ姿勢を持っているわけだから、楽しいというか面白くなってきて、動きは加速する。
加速するほどに磨きもかかるので、成果として現れる
そうやって自らサイクル化していけば、更に成長する

➽学びの勘違い

自らの「問い」を持たずに相手に質問することを愚問の始まりと言われている。
「問い」を持たずについつい相手に質問するのは、それだけ自身を省みていないか、もしくは反省点から逃げているだけで、改善されることは、ほぼないといっていい。
つまりは、成長はあまりないということ。
本人だけが成長したと悦に入ってしまうこともしばしばある。
自らの「問い」を持たずに質問しているのは、単に「教えてもらった」だけに過ぎず、学びになっていない。ここは勘違いしやすいところなので気をつけたい。

随分、単純化して話しを書いてきたが、今まで関わってきた「学び取る人」はそうとしか思えないことを実感する今日このごろだ。

2016.8.20追記
こちらも合わせて一読ください
「学ぶことだけが重要なわけではない」
2017.4.12追記
上記記事を書いてから約1年が経ちました。自らの視点を持ち「問い」をつくることに関して、リーダーシップの姿勢として、こちらの記事にまとめました。あわせて一読ください。
2020.07.026追記
こちらの記事「わかったつもりでも、勘違いしたまま」も参考に。
2010年12月の投稿したものです。 
  

2014年9月10日水曜日

自分の仕事をワクワクに変換する方法4つ

最近、訪問する企業様で「ワクワク」という言葉を頻繁に聞く。
どこの会社も閉塞感満載で、週初めだというのに仕事をしている顔はすでに疲れ切っているのが見受けられる。

社員がワクワクできるような仕事にしていきたいという経営者。
反面、仕事でワクワクするようなことは無いという管理職。
そもそも、仕事でワクワクすること自体があるのか疑問という社員。
共通することは現状のままでは、ワクワクはないということだ。

➽➽反応と思考停止にワクワクはない

➽気分や感情は伝染する

ワクワクというのは、あくまで気分や感情の範疇だ。
気分や感情は周囲の空気に影響される。
明るい人が部屋にいれば、それだけで周囲は明るくなる。
不機嫌な人がいれば、それだけで周囲の空気は張り詰める。
その影響範囲は人によりけりだが、ネガティブな気分は確実に伝染するから始末が悪い。

➽反応と思考停止にワクワクはない

この伝染の正体は、「反応」とこれに伴う「思考停止」
上司から指示されて、それをやる。これは「反応」しているだけのことだ。
業務を理解するまではそれで良い。
そしてずっと繰り返しているうちに疑問や解決アイデアが出てくる。

ここで大きく分かれてしまう。
疑問を上司や周囲に投げかけ、アイデアを問いかける。
この働きかけをやるかどうか、働きかけ続けられるかどうかで、同じ業務に対する姿勢が変わる。
働きかけ続けられず、どこかの時点で諦めてしまえば、その業務はいつしかルーティンになり、ながらでもできるようになっていく。
こうなったら、「思考停止」状態になる。
気がつけば、イヤイヤやっている状態に陥っているし、そのうち「ヤラされ感」状態になる。もうワクワクが生まれる余地はない。
少なくとも、その業務においては生まれる余地はない。

➽➽小さなことでも「よっしゃあ!」を積み重ねていく。

4WaysToTurnIntoAnExcitingJob
















ワクワクは気分・感情的なものなので、自分がワクワクできるかどうかが鍵
大きなことでなくても、自分がワクワクできるようになっていけば、いつしかそれが大きなものに変わるだろう。

そのためには、まずは小さなことでも、自分ができることを積重ねていく。もちろんちょっと背伸びすることも忘れずにだ。
他者から見て小さなことであっても、自分の中に達成感が生まれる程度のものを積重ねていくことで、次のステップも見えてきたりもするものだ。
そのためにも、周囲や上司への働きかけは必要だ。

何度もいうが、上司や周囲に働きかけるかどうか、自分が決めることをズルズルと引き伸ばしているだけのことだ。
あるいは誰かがやってくれることを期待して待っており、責任回避をしたいだけとも言えるだろう。

もちろん「言われたことだけを言われた通りやっていれば良い」とする上司がいるのなら、「ヤラされ感」を助長することになるのは言うまでもない。

そして働きかけることを決めても、次の課題が出てくるのだ。
ここで諦めずチャレンジしていこう。

➽➽時間の使い方がモノをいう

働きかけるためには、アイデアを具体的にしていく時間が必要だ。
かつてGoogleが取り組んでいた20%ルール的な労働環境と企業文化があれば、それは可能だろう。
※Googleの20%ルール=業務時間の20%は自由に使って良いとするもので、多くの社内の業務改善や提供サービスがここから生まれた

しかし多くの企業では、担当する仕事をやるだけで精一杯というのが実情で、多くの疑問や解決アイデアは、日常の業務なかに埋没する。

そうすると、疑問解消や解決アイデアの具体化は、仕事が終わった後の時間を充てていくしかない。
生活の時間を仕事のために使うのはNGだ。仕事と生活は分けておくことが絶対だということであれば、浮かんだ疑問が解消されることも、浮かんだ解決アイデアもカタチになることはないだろう。

➽自分の成長に時間を使うことを決める

仕事自体もそうだが、仕事の後の時間は自身の成長にとって大切な時間だ
この時間を何に使うか?
疑問を解消し、アイデアを具体的にするための時間として使うかどうか。
ここでも差がつく。
疑問を持ち、アイデアが浮かんだのは他の誰でもなく自分だ。
その自分の考えを具体化するために、調べる、勉強する、練る時間を惜しまず、これらを組み込んだ生活時間にしていけるかどうかだろう。

独身ならばできるだろうけど・・・・
家族との時間が大切だから、それにアテたい・・・
もういい歳になってきたので、ひとつひとつに時間がかかる・・・
一人で取り組めるとは思えない・・・
様々な言い訳をして、自分を納得させることはできるだろう。

言い訳そのものが悪いわけではない。
「では次にどうするか?」を自分で決めているかどうかが重要だ。
自分が納得して、もうやらない。諦めているのなら、それでいいが、その不満を周囲に漏らすのはやめよう。少なくとも前向きに進もうとしている人にとっては迷惑な話しでしかないし、不満を漏らしている内は、本当にもうやらないと決めているわけではないことを周囲は感じ取っている
そして、愚痴れば愚痴るほど、自分のなかにあるワクワクの「種」を腐らせ、失くしてしまっていくことも知っておいてもらいたい。

仕事をワクワクするものにしたいのであれば、働きかけること、時間を設けること、どちらも自分で決めることであり、自分自身から始めることに他ならないということだ。

アイデアがどんな理想的なことであっても、それは「成し遂げたい将来の現実」と捉えて、常に現状と比較して、何をどうするかと考えるようにすることを自分に癖づけていくのも一つの方法だ。

➽➽自分の仕事をワクワクに変換する4つの方法

➽自分のことならば自分で決める

仕事をするにしろ、仕事を改善するにしろ、職を変えるにしろ、決めるのは自分自身自分のことを自分で決める。これは自身の成長の源でもある。
組織に属している場合は、上司などの決定が大きく影響するが、その上司に働きかけるのは自分自身。
なので、決めるのは自分であって、それ以外の何者でもない。
決断したら、時間をどう使うかを考え、具体的に設計し、計画し、それに基づき行動する。行動が伴わないワクワクはまずないだろう。
「成し遂げたい将来の現実=ビジョン」を見据えておく。
そして、それがなんのために、誰のためにやっているのかの目的を意識する。

➽人に話をして人脈を広げる

自分が成し遂げたいことを自分で一人でできるかというと、これがなかなか。
やはり人の協力なくして成し遂げることはとても難しい。
そこで、自分の考える「将来の現実」を多くの人に話す。
アホとちゃうかと言われようが、なんと言われようが話すことで伝わる。
否定されたり批判されたりするのは、それが夢物語レベルであって、まだ「将来の現実」レベルまで具体的になっていないだけのことだ。
不足していることが具体的になっていないというだけのことであって、それを教えてくれていると思えば、いちいち落ち込む必要もない。
なかにはいろいろと具体的に質問をしてくる人も出てくる。
話すことで、自分でも気づいていなかったことに出くわしたりもする。

大勢に一度に話すというより、たくさんの人に会い、一人ずつ話していく。
そうしている内に、今の人脈だけでは考えられないことも、もっと現実的な面でアドバイスや協力をしてくれる人が出てくることもある。
時には紹介も発生することもある。
そうやって、新たな人脈をつくり、拡げていく。
そうすれば、それは大きな前進だと思います。

➽うまく行ったところからどんどん広げる

計画変更修正は当たり前だと思っておいて良い。
でも「将来の現実」とそれに至るステップとしての目標の下方修正をしないことだ。これをした瞬間から、自分の中に「言い訳」が生じ、やらない方向に動き出すので注意したい。
言い訳することは悪いことではない。
なんども言うが、言い訳することによって、決断や行動が引き伸ばされていくことが良くないのだ。

計画上の行動とその結果に望み以上のものが出た場合、それをどんどん拡張していけば良い。多少の不都合や多少の問題は、良い結果が凌駕してくれる。
そうなるとワクワクどころかウキウキしてくるのだが、調子に乗りすぎることは要注意。

➽定期的に振返り、自分自身を確認する

毎日でも週イチでも月イチでも良いので、振返り、できたことを確認する。
それは他でもない自分自身が時間をつくり、考え、行動した結果だ。頑張ったこともあれば、誰かの協力からできたこともあるだろう。いずれにしても自分が働きかけた結果であることに間違いはない。振り返れば「やれる自分自身」「できる自分自身」を発見することにつながる。自信も湧いてくる。

最後にもうひとつ。
何かひとつ得意なもの、得意になれそうなものを発見することもワクワクに近づけることになるだろう。
得意といっても、人より上手という意味ではなく、いくらでも続けていられるものがあれば、自然とワクワクに近づいていけるのではないかと思える。

2014年7月3日木曜日

映画「大脱走」から人材開発のヒントを得る

映画「大脱走」は、「何があってもへこたれない不屈の男たちのドラマ」と語り継がれている。確かにそうだが、途中でへたってしまう人も出てくるし、諦める人もいるにはいる。それでも立ち上がる姿がそういった評価につながっているのだろう。

中学校の映画鑑賞会で、初めてこの映画を見た時、私も含めた単純でアホな男子達は、授業からいかに脱出するかを考えていたことを思い出す。ほんとに「あの頃、僕らはアホでした」を地でいっていた。

だけどその後、数回テレビで放送され、社会人になって、見落としていた所を発見し、完全にはまってしまった。
そして「なんでこの映画にはまるんだろう?」と考え始めた時から、いろいろな発見をしていることに気がついた。

特に社会人になってから、見返すと、あらあら不思議、普段、クライアントにお伝えしている基本的なことは全部ここに描かれているではないかということにも気がついた。だからといって私が軍隊主義ということではない。そこは間違わないでもらいたい(笑)。
(2020.07.02追記)映画「大脱走」
この映画は、2020年の時点で、60歳台前半~80歳台の男性ほとんどが、見たはずだ。スティーブ・マックイーンのバイクに乗ってスイス国境を越えようとするシーンが記憶に残っている人は多いだろう。
あるいは、エルマー・バーンスタイン作曲のマーチが耳に蘇る人もそれなりにいるだろうと思う。私もその一人で、やる気になってる時に限って、いまだに頭の中でマーチが鳴る(笑)
今回の記事は、1963年公開の映画「大脱走」を通じて、マネジメントする立場の人、リーダーシップ発揮を求められる人、チームをしっかり作り上げたい人、コーチングや指導する立場になった人、協力することを意識し始めた人、交渉を進める人、自律的な行動が求められる人など、人材・組織開発に関するヒントになることをまとめた。また自身の開発することは何かを発見することになるだろう。ヒント満載の映画だ。
少なくとも私にとっては、こういったもののベーシックなバイブルとして位置づけて、何度も見ており、見るたびに新たな発見がある。クライアントのマネジメント層には一度は見るようにお勧めしている。

HumanDevelopHintfromTheGreatEscape


➽➽映画「大脱走」から人材開発のヒントを得る

この映画の見どころは数々あるが、人材・組織開発につながるヒントはほぼ前半に集約されている。
あらすじや見どころは、検索すればいろいろと出てくるので、割愛する。

この映画を自身のトレーニングのひとつとして使うのであれば、ここから先の文章は読まずに、まず映画を見ながらマネジメント、リーダーシップ、チーミング、といったことを意識しながら、これはと思ったところをメモに取り、後から、以下の文章と照らし合わせてみるのもひとつの方法だろう。
以下に書いていないところがあれば、それは私の見落としだし、ぜひ教えてもらいたい。いや、ぜひ教えて下さい。
もちろん、私がまとめた以下の内容が描かれていると思いながら見るのもひとつだろう。

以下、映画の時系列ではないが、視点ごとにまとめた。

➽リーダーシップのヒントを得る

●明確な姿勢を示す
ドイツ軍設営の連合軍捕虜収容所のルーガー所長が「ここは脱出不可能だ。おとなしくしていろ」といった旨を連合軍捕虜の将校ラムゼイ大佐に告げる。
これに対しラムゼイ大佐は、はっきりと言い切る。
「脱走は、敵を混乱させ、後方を撹乱することであり、将兵の義務である。」
まさしく、どんなことがあっても譲れないことは何かをしっかりと持っているリーダーが示す姿だ。

また、一旦は脱出したが捕まってしまい収容所に戻されたヘンドリーが「これだけの犠牲を出して意味(価値)があったのか?」とラムゼイ大佐に質問するシーンがある。
この時、ラムゼイ大佐は、「見方による」と毅然と答える

およそ現在のビジネス上ではあり得ない話しのような、一見、パワハラ的な冷酷な返答ではある。
この一言は、「お前が親友を亡くし、責める気持ちは理解できるが、それは私も同じだ。しかしそれは将兵としての努めであり、目的を果たした結果である。」と言っているようなものだ。
「見方による」と言葉通りに取れば、それはもう冷酷と言われてもおかしくないし、あるいは誤魔化したと言われてしまうかもしれない。
コミュニケーションにおけるコンテキスト(文脈)を理解しているかどうかの問題だが、信頼関係があるからこその一言であると思える。

また危機的状況においては、リーダーは立場が上になるほど、目的に徹し、時には冷酷・冷徹になる必要もある。
こういった時、売上や利益といった目標側に立って冷徹な判断を下すリーダーであれば、人はついてこないのは明白だ。
このラムゼイ大佐に限らず、松下幸之助や本田宗一郎といった、偉大な経営者達も「目的」「理念」といったものが最も大切だと言っている
偉大なリーダーと言われている人達に共通するのは、温情と冷徹さを兼ねもつ情熱家でチャレンジャーであることだ。どうもこれは世界共通のようで企業規模も関係ないようだ。

●目的と目標を明確に設定する
ビッグXと称される人物が登場する。
そして脱出中心となるメンバー(いわば幹部)を集め、脱走計画についてミーティングを行う。このミーティングで、ビッグX=バートレット少佐は、目的を「後方撹乱※」と位置づけ、目標を250名の脱出と設定する。
 ※後方撹乱とは、追撃してくる敵部隊を分散させ、敵の作戦遂行の精度を低下させること

この数値目標は前代未聞の目標で、メンバーはびっくりするが、目的を再度確認し、メンバーの意思が統一される。
まさしく「目的なくして、目標なし」を象徴するシーンだ。

●メンバーの意思を統一する
この映画のドキュメンタリー版で実際に脱出成功した人物がインタビューで答えている。
「集団の目的である脱出して後方撹乱することと、個人としての目的=Go Homeが一致していた。」

人材開発においては、この一致をアライメントと言うが、目的と目標を結ぶ一本の線に、社員が自身の目的を重ね合わせて一致していればいるほど、その組織は強いということは、今も昔も変わりない。
この目的を理念、目標をビジョンと言い換えても同じことが言える。

また、この目的の一致が後に、トンネルを一本に絞った時のモチベーション低下を防ぐことにもつながる。

●コーチングと指示を組み合わせる
このミーティングのシーンはわずか10分弱。
実際はもっと時間は必要だっただろう。
ミーティングの中で、集団脱走のプロ中のプロであるはずのバートレット少佐は、具体的な方法をメンバーに考えるように質問を繰り返す。
もしかすると自身にもアイデアがあったかも知れないし、なかったかも知れない、それはどっちでもいい。
リーダーとして、メンバーの持てる能力を引き出すための質問をする。

この時代にコーチングの概念があったのかといえば、なかっただろう。
それは映画上の演出に過ぎないといえばそれまでだ。学べるものはなくなる。
なぜなら映画の演出は、いかに共感を創り出すかに主眼が置かれている。
見ている人が感情移入しやすいように作られており、それは心理学にも通じる部分が多々あるからだ。

●役割分担に応じた指示でのキックオフ
バートレットは役割を明確にし、具体的なプランをつくるように指示する。
情報収集、トンネル掘り、証明書の偽造、土砂処理、測量、服の仕立、警備、製造、調達といった役割をそれぞれの持つ能力を最大限活かせるように割り振る

これは部門横断的なプロジェクトの場合は必須条件だ。
何かのプロジェクトをやる場合、各分野のエキスパートを集めるのは必須だ。
さらに、その役割を明確にし、質問をし、指示を繰り返すことで、目的に対する意思統一を図るのは、キックオフでは最も重要だ。
失敗するプロジェクトのほとんどは、この3つの必須条件を疎かにしたり、曖昧にする。

➽マネジメントのヒントを得る

●計画でのオプションづくり
映画上でははっきりと描かれているわけではないが、セリフにより3つのトンネルを用意していたことがわかる。
3つのトンネル、それぞれ、トム、ディック、ハリーと名付けられ、同時に掘り進められた。

これはマネジメントのベースとなる問題解決の基本中の基本そのものだ。
第一トンネルのトムは主軸の計画であり、その進行を阻むものが発生することを想定して、すぐに乗り換えられるように、同時に第2トンネルのディックを進めておく。
これは問題解決技法の主軸の計画に対する一次予防策だ。
さらにそれでもダメだった場合のために、第3のトンネルを準備しておく。
これも問題解決技法の主軸の計画に対する、悪影響を最小限に抑えるための二次予防策だ。

ドキュメンタリー編によれば、脱出後、さらにジョージという4つ目のトンネルが掘られたという。

※(2020.07.02追記)
今のコロナ禍、withコロナの中で、トム、ディック、ハリーの考え方を、企業としてどのように扱うかを、近々、アップしようと、現在考え中。

●進捗確認で差を埋める
それぞれの役割りを果たしている状況をバートレットが見て回るシーンがある。ここでも彼は、各エキスパートに任せた業務の進捗を確認しながら、いくつかの課題を見つけ、その解決策を考案するように指示する。

リーダーによる進捗確認は必須だ。例えそれが任せたものであっても、更に良いものにするための質問をしたり、指示することがある。
進捗確認で出来栄えや出来高だけを確認して、次に進むための課題を明確にせずにいるのは、単に現状確認しているだけだ。課題を明確にせず終わる進捗確認はマネジメントの怠慢以外の何物でもない。これは結構やりがちだ。
具体的には、現状と理想や目標との「差」を見極め、これを確実に早く埋めていくための課題を見出し、これについて考える質問をするとうことだ。

●素早い状況判断をする
3本のトンネル掘りがある程度進んだところで、バートレットは、最も掘り進んでいたトム一本に絞るように指示する。これはその一本に絞ることが効率的で効果的であるとの判断から来たものだ。つまり早く確実性が高いとの判断だ。
これは、トンネル掘り担当のチカラを分散させて進めていたが、見込がついた時点でチカラを集約し、一気に進めるという状況判断だ。

ここで、ひとつの疑問が出てくる。
それでは第2のディックと第3のハリーを担当していた者達のモチベーションが低下するではないのか?という疑問。
「俺らはせっかくここまでやってきたのに・・・」というやつだ。
ここに、最初の段階での「目的」の共有化レベル(深度)がものを言う。
集団の目的と個人の目的が一致度合いが強ければ強いほど、モチベーション低下は一時的にあったとしても、それぞれが自身の中で処理できるものだ。

状況判断は他にも随所で見られる。
中でも7/4アメリカ独立記念日のお祭りをしている最中に、完成間近のトムが偶然看守に発見されてしまい、茫然とする連合軍捕虜達の中で、バートレットは、冷静に状況を判断、即座にハリーの再開を命じる。

そこにどのような状況判断があったのか?
なぜ3本目の、二次予防策のハリーにしたのか?
この疑問は中学生の私には当然浮かびもしなかった。
社会人になり、問題解決技法を学んでから見て、わかりだした。

中学生の時は単純に2番目に進んでいたからだろうと捉えていた。
しかし社会人になり、マネジメントを学びながらも、自分自身がマネジメントをする立場になって、数回見ているうちに、ハリーにした理由がわかった。

看守がトムを発見したのは、上司がいない間に、収容所のコーヒーを盗み飲みしようとした時にこぼしてしまい、その滴りが、地下トンネルに落ち、その音と吸い込まれていく様子に気づいたからだ。
一方、ハリーは、シャワー室の排水溝から掘り進めている。
液体の滴りが原因で敵にトムが発見されたのだとしたら、同じようなこと(原因)がきっかけで問題が発生することは可能な限り避けたいという考えがバートレットの頭に浮かんだのだろう。ならば液体が落ちる音、吸い込まれていくことが当たり前のシャワー室であれば見つかりにくいかもしれないという結論になる。

●任せた部下のミスを決して責めることはない
脱走の最初の失敗は、測量段階でのミスがあったことだ。
目標地点までトンネルが届いていなかった。これが致命的ミスだったわけだが、バートレットは測量担当のカベンディッシュを責めることは一切なかった。

もう実行段階に入っていて、引き返せない、となると、担当者を責めたところで何も生まれない。リーダーがストレスを発散させているだけのことになるばかりか、メンバーの不安を煽るだけだ。かといって慰めるわけでもない。

リーダーは、どんな時もどう舵を切るかを冷静に判断しなければならない
この原則からすると、リーダーであるバートレットは実に人間らしい側面を見せる。バートレットは一瞬オロオロする。まさしく「どうしよう・・・どうしよう」という状態だ。
そこで参謀役のマクドナルドが延期をアドバイスする。
バートレットは計画の目的と自身の目的=GO HOMEで揺れる。
リーダーが意思決定に揺れるている時、違う考え方を示してくれる参謀は必要だ。マクドナルトはオロがきているバートレットに冷静さを取り戻すきっかけを与えたことになる。マクドナルド自身もオロが来ていたのだ。
結果、バートレットは自身の順番を遅らせ、成り行きを見守るようにする。

これはリーダーとして、ミスをカバリングしながらも、ある程度、動きだすまでは見守る責任を示すということだ。
しかし、バートレットとマクドナルドはここで、さらに致命的なミスを犯す。
リーダーとサブが一緒に行動をしてしまったのだ。

●準備中やトレーニング中のミスを叱責する
準備段階で、参謀のマクドナルドは、脱出後、ドイツ軍に職務質問を受けた際の受け答えのトレーニングをする。単純なひっかけ質問をし、ミスを誘う。これにまんまとひっかかってしまったら、即アウトとなる。
実行段階でミスを叱責したところで何も生まれない。
うまく事が運ぶようにトレーニングするわけだから、ここで叱責を受けることは当然だろう。
現在は、パワハラにならない程度が求められるので慎重にならざるを得ないが、それもこれも関係性によるものだと考えれば、目的の一致がそこにあるかどうかが問われる。

●リーダーや指導担当といえどミスをする
サブリーダーであるマクドナルドは、指導担当として、職務質問の訓練をしていたのだが、逃走中に、その訓練そのものとまったく同じひっかけ質問の罠にひっかかり、危機的状況に追い込まれる。

トレーニングで一回やっただけで、そのスキルや知識が身につくわけではない。
何度も繰り返してやっと身につく。わかったつもりがわかっていないということは、よくあることだ。
リーダーや指導する立場であっても、それは同じだ。完璧にできるわけではない。ただそれを知っていて、努力を重ねているかどうかの違いでしかない。


●リーダーとサブリーダーは一緒に移動しない
バートレットは、参謀のマクドナルドと一緒に脱出した。
これはトンネルが目標地点まで到達していなかったことがわかった時点で、リーダーとして、サブであるマクドナルドを先に行かせるか、後を任せるかの判断をしなければならなかった。
何しろ、脱出しようと頑張ってきたメンバーは、早く出たいと気持ちが焦っている。それが出口付近まで来て「実は距離が足りない」と言われると動揺が生まれてしまう。ここはリーダーかサブはどちらかが残って指揮を取らねばならなかったに違いない。

また、脱出後、この二人が一緒に行動していたがために、土砂処理担当のアシュレーが犠牲になってしまう。アシュレーの犠牲がなければ、二人が即座にアウトになっていただろう。
リーダーとサブはリーダーが一緒に動くことはリスクが高まるということがわかるシーンでもある。

➽チーミングのヒントを得る

●チーミングのGRIPを図る
※チームの成長サイクル=GRIPについては、こちらの中程も参照
GRIPとは、明確な目標(Goal)があり、それぞれの役割責任が明確(Roles)で、信頼あるコミュニケーションによる人間関係(Inter Personal)、及び、プロセスとプラン(Plan)の共有の頭文字を取ったもので、まさしくチームとして「握っている状態」を指す。

この4つの要素のうち、Goal、Roles、Planについては上記の通り。
ではInterPersonal(人間関係)はどうか。
収容所の集められた捕虜達は、何度も脱出を試みた者達で、その意味でそれぞれの個人的な目的は一致している。
ドキュメンタリーでも「全員が同じこと(脱出する)を考えていた」と語られていた。

これは私の実感ではあるが、目的が一致していて、それぞれが役割責任をしっかりと果たしていれば、否定的意見は前進するための心配事でしかない。あるいは否定的な意見が出たとしても、そこには代案が必ず出てくる。
目的が一致していれば、単なる否定は生まれないのが不思議だ。
ここに良好な人間関係が生れる。ムダな駆け引き、余計な憶測的なものはない。
こういうチームは強いし、確実な成果や目覚ましい成果を生むのを何度も見てきたし、実感もしている。

(2020.07.02追記)2019年の夏、日本ラグビーチームの活躍は目覚ましいものがあった。そして監督や選手から「全員が同じこと(目的・目標)を考えていた。」との言葉があった。ここから「ワンチーム」という言葉が流行った。この映画「大脱走」もまさしくワンチームを描いた映画だ。

●協力意識を示す
映画の冒頭。収容所に連行されてきた捕虜の数人が脱出しようと試みる。
この時セジウィックが自身は脱出するつもりはなく、わざと騒ぎを起こして、看守達を陽動し、脱出チャンスをつくりだす。しかし、この脱出はすぐに発覚してしまう。これが「脱出不可能だ」とのルーガー所長の言葉につながる。

また当初、単独脱出を試みていたアメリカ陸軍大尉ヒルツに、バートレット少佐は、トンネルを出た後の脱走経路と収容所外部の情報をつかんで再度捕虜になって戻ってくるように依頼する。ヒルツは250名というとんでもない目標を聞かされ、一瞬心が動くが、結局断る。連合軍とはいえ、自身のアイデンティティはアメリカ軍にある。捕虜のほとんどはイギリス軍やオーストラリア軍だ。
しかし、脱出の相棒となったイギリス軍アイブス中尉が射殺され、これをきっかけとして、バートレット少佐の依頼を受けることにする。計画の目的に焦点を合わせたということだ。

保険証などの偽造を担当していたコリンの視力が異常をきたし、バートレットから脱出を断念するように言い渡されるが、これにヘンドリー大尉が自分が付きそうと申し出る。

トンネルキングと称されるダニー大尉には、同じくトンネルキングの親友ウィリー大尉が付添そった。ダニーは落盤事故に何度もあっており、暗闇にトラウマを抱えてしまい、何度もトンネル掘りを断念しそうになってしまっていたが、ウィリーが励まし、一緒に脱出することを約束していた。

これらの協力意識は、それぞれの目的「Go Home」が共有され、役割りを果たしていくうちに人間関係が築かれて、共に進んでいくパートナーシップ以外のなにものでもない。単に仲がいいわけでも利害が一致したわけでもなく、いわば「戦友」であるが、同じ目的を持っているからこそのパートナーシップだし、共通する言葉で「Let's」というものがあった。

●チームを慰労する
7/4の独立記念日。アメリカ人のヒルツとヘンドリーとゴフが芋から作ったウォッカを密造し、それぞれの役割りを果たす捕虜全員に振る舞う。
第一トンネルのトムがもうすぐ目標に届くというタイミングでの、ひとときの楽しみとやすらぎを感じるちょっとしたお祭り気分を過ごすことになった。
しかし、この時に上記「状況判断」で書いたトムの発覚につながる。

モノゴトがある程度進捗し、同じ目的で集まっているプロジェクトチームでは、大抵、こういった途中経過での「慰労会」が設定される。
あらかじめ予定しておくことではなく、そういうことをするのにいいタイミングで入れることが重要で、そのタイミングを逃してしまえば、しない方がかえって良い場合もある。それぐらい柔軟に動けるようなメンバーがいるチームはやはり結束力も強い。

➽自律的に動くことへのヒントを得る

●指示される前に考えている
バートレット少佐が、最初のミーティングで、役割りを指示し、具体的な方法を求めるシーンがある。
ほったトンネルの土砂を、どこにどうやって、敵にわからないように処理するかの問題があった。
これに対して処理担当のアシュレーは、この問題に対して「すでに実証済みだ」といって処理方法を提案・実演してみせる。

●不足をすぐに補う役をかって出る
測量担当のカベンディッシュの測量が正確ではなく、計画されていた森の中までは届いていなかったことがわかる。ここで外部情報を入手して戻ってくる代わりに一番に脱出する見返りの確約を取り付けていたヒルツは、ロープを使って合図を送る役割を自らかって出る。

自分の損得で動いていれば、最初に出たヒルツは、自分だけが逃げれば良いとも言えるが、アイブスの思いや、脱走計画の目的に立ち戻れば、個人よりも全体の利益へと違う判断が生れる。
おそらくヒルツは、目的に立ち戻ったということだ。

迷った時は、必ず目的に立ち戻れば、そこに答えはあるということだ。

途中でこの役割りは交代することになるが、ヒルツは結局、一番の脱出者にはならず、逃げることは逃げたが、逃げ遅れになってしまった。

●それぞれのやり方で進む
脱出後のことは、それぞれの自己判断で、と言ってしまえば、無責任だと思われるところもある。しかし、脱出の目的は、後方撹乱であり、それぞれのGo Homeである。その意味では、全員が集団で動くことよりも、自律的に分散して逃げる方法を取ることには抵抗はなかっただろうと思える。

●自身のアイデンティティを示す
この映画の最も盛り上がるシーンと言えば、ヒルツがスイス国境をバイクで飛び越えようとするところだ。銃撃され失敗に終わってしまうが、鉄条網にからまりながらも立ち上がったヒルツは、シャツの裏側につけた襟章を見せつける。
「俺はアメリカ軍で、この脱走は俺一人でやったことだ」と言っているように見える。

自身のアイデンティティは何であるのか?これを常に持っているようにしたいものだ。かくしてヒルツは再び独房に入れられることになる。

私が組織開発をする上で、大切にしているものに「セルフコンセプト」というものがある。企業の理念(存在目的)と個人の目的のアライメントを図るものだ。
理念とビジョン経営をする上では、不可避なものだと確信している。

➽娯楽か学習かは見方による
長々と書いたが、以上のように、リーダーシップ、マネジメント、チーミング、自律性といった要素が随所に散りばめられている。それもほぼ前半に。
上記したものの他にも、リーダーであるバートレット少佐の参謀マクドナルド大尉や警備警戒体制を構築したソレン中尉など、それぞれが役割を果たすために、工夫を考案し実行する。
後半はそれぞれの逃走シーンの連続オムニバスとなる。
全ては個人個人の判断に委ねられた行動を取り、逃走を繰り広げられる。


そしてどれだけ練った計画でも、状況は変わるので、完璧はないということだ。
あるいは完璧に作れたとしても、それは実は思い込みで、そうあって欲しいという願いだけで、実際は情報の質と量に左右されることを忘れてはならない

しかし、収容所という何もないところで、トンネルを掘る道具や通行証、平服までを敵にバレずに250名分を調達・用意したことは事実で、驚嘆に値する。
その気になれば、あるもので工夫していき、なんとかしてしまうのが人間の底力ということを教えてくれている。

そして外部情報を掴んで戻ってきたヒルツが独房から開放されたのは、脱出当日だったため、情報が脱出メンバー全員に行き届いていたとは考えにくい。
やはりメンバーとの情報共有はスピードと正確さは求められるのは、いつの時代であっても必要だし、情報がないと的確な判断ができないことがわかる。
情報なしの判断は、単なる思い込みでしかないこともわかる。

脱出合図が待ちきれず飛び出した77人目の服の仕立て屋グリフィスが見つかったところで、目標の250人には届くことはなかった。
メンバーの誰か一人が焦りだすと、周りも焦りだす。
コアとなるメンバーが早々に脱出したのが、仇になってしまったとも言える。
やはり実行段階でリーダーとサブは一緒に動いていてはダメだということだ。

そして後半の逃走シーンでは、情報不足、ちょっとした油断から捕まってしまうことが続く。
逃走途中で50人が射殺され、10数名が収容所に戻され、結局逃げ切れたのは3人。差の人数は不明とされているようだ。

もしこの時、情報が行き届いていたら?測量失敗がわかった時点で、参謀のマックの「次のタイミングまで待つ方がいい」というアドバイスをバートレットが聞き入れていたら?と見るたびにいろいろと疑問が浮かぶ。

それでも、この大脱走を成功とみるかどうかは、ラムゼイ大佐の「見方による」の一言に現れている

(2017.04.15追記)
歴史に「もしも」はないといわれる。
その「もしも」は理想に近づけるための「問い」に他ならない
そこに学べることが生れるのだと私は思う。

娯楽か学習か。
最初は娯楽でもなんでもいい。
次にそこから何かを学び取れれば、まさしくグリコのおまけだろう。

私は「見方による」という一言が、この映画の最も重要なセリフであり、考えさせられる言葉だと捉えている。

the great escape


2012年1月30日月曜日

人事異動は最も強力なメッセージ

大抵の企業で、1月中旬あたりから、来期の組織体制に伴う人事異動を具体的に考える。
実際には、前年12月末にはある程度の骨子はできているものだが、具体的な意思決定に向けて動き始める時期でもある。



どんな企業にとっても、事業が成功するか否かはヒトにかかっている
これは多くの企業経営者の誰もが共通して思うところ。
そして、多くの企業がヒトの問題でつまづいてしまうのも共通するところ。

異動に対する社員の気持

社員にとっては、「希望通りに異動できるか?」「そのまま据え置きなのか?」あるいは「青天の霹靂」的、「大どんでん返し」的なものが来るのか、気になるところだろう。
そういった戦々恐々な状態な人もいれば、どうせ何も変わらない・変わるはずがない・変わるわけがないと決め込んでいる人もいるだろう。
いずれにせよ、自身の具体的なキャリアプランを考えている人ほど、気になっているということだ。
もちろん事前に内定を受けて安心している人、悩んでいる人といろいろいるだろう。
社員としては、どんな異動が来ても、受け入れざるを得ないし、希望が通らなければ辞めてやると考えている人もいるだろう。

●納得できるか!辞めてやる!
つい先日、スタバでこんな会話が隣のテーブルから聞こえてきた。

30歳前後とおぼしき男性2名。
「もうあんな会社辞めてやる。なんで俺が異動なんだよ。しかも内勤だぜ。意味がわかんねえよ。どう考えてもおかしいだろ!」
「俺も部長に立ち話で、異動希望は叶えられそうにない話を聞かされたよ。理由も。今のままかって感じだけど、納得はしているよ」
「お前はいいよ。俺も残りたかったんだよ。」
「だけどお前さ、大して仕事してないし、はっきりとした自分の考えはないじゃん。」
「そりゃそうだけどなぁ・・・来期こそはって思ってたんだよ。」
そういう振りして、やる気のないのをごまかすのはやめときなって。ほらドラえもんもいってただろう?『逃げたら終わり』って。(笑)」

この会話を聞いていて私は思わずカフェオレを吹き出しこぼしてしまった。
ふたりとも私に気づいて、怒っていた方の人が「あっ、聞こえてました?大きい声出してすみません。笑かしてしまいました。」と照れ隠しっぽく笑っていた。

この会話がこの記事を書くきっかけとなった。
この会話を思い出してみると、いくつか疑問が浮かんでくる。
・こういう会話ができる二人の関係性はどのようなものであるか?
・そもそも納得していない彼は異動希望に明確な意思表示していたのか?
・内示があったにせよ、ないにせよ、納得度に違いがあるのは何故か?
といったものだ。

二人の関係性は、きっといいもので、腹を割って話せる関係性なんだろう。いわゆる良い同僚に違いない。
怒っていた彼は、明確な意思表示をしていたかどうかはわからない。多分していたからこそ怒っていたのかもしれないし、意思表示をしなくても上司はわかってくれているだろうと思いこんでいたのかもしれない。
とすると、この二人の納得度の違いは何だろうということに、まだ考えられる余地があるなと思えた。

通常、事業がうまくいっていようが、そうでなかろうが、人事異動やそれにともなう組織編成は必ずある。そして経営者はここに必ず「意図」を持っている。
意図を持たずに人事異動を決める経営者もいるだろうが、これは論外だろう。
では経営者はどんな意図を持っているのか?

異動・組織編成に対する経営者の意図

経営者の意図は「会社・組織を次のステージへと導くため」のものだ。
経営者の意図は必ずここにある。それがどんなことであってもだ。
欧米の会社と日本の会社の大きな違いは、資源が「人」にしかないということなのだから、その最大活用・応用は人事に必ず現れる。
もし現れないのだとしたら、その会社の発展はもはやないに等しい。
今後は維持さえも難しくなる。

経営者や案を考える担当者は、この「次のステージ」へ向かうための最適解を求めて、人の異動を考える。
「この分野を伸ばすためには、どのような人材が必要か?」
「どんな時でも必ず対応策を考えていた人は誰か?」
「この人のキャリアを考えると、次はここに挑戦してもリスクが高いのではないか?」
「経営面で次世代、次々世代を担っていけそうな人は誰か?」
「後輩に仕事を残していこうと考えて行動しているのは誰か?」
といったところだ。

人事制度の評価やジョブローテーション、昇格試験などの状況や結果といった情報から、難解なパズルを解くように、いろいろと考えていくわけだが、大人数の異動になることはさほど多くはない。
中小企業にとっては、大企業と比べて圧倒的に人が足りないのが事実だからだ。
その大企業ですら、最近は人材が不足している(2020/02/24追記)
しかし経験の浅い経営者は、この「異動はさほど多くはないものだ」という点だけを捉え、単に人が足りているか否か、今必要かどうかで判断することが比較的多い。これは冷静に考えれば、「将来が見えないよ・見るつもりもないよ」と会社がいってるようなもので、社員にとっても痛いが、結果として会社にとっても痛い。

痛い会社の多くは、肝心の「会社としてのビジョンに向かうことになるかどうか」、「人材のキャリアプランに合っているかどうか」をよくよく考慮せず、組織図を完成させてしまうことが見受けられる。ここは慎重になりたいところ。
何度も言うが、日本の企業にとっての資源は「人」にしかないのだ。
ましてや日本全体が人口減少に向かっているのだからなおさらだろう。

人事異動は最も強力なメッセージである

「人事は人材という資源の最大化を考える」ことがミッションであるとよく聞く。
これが会社が「次のステージに向かうこと」につながる。
つまり会社の意志を示せる最も強力なメッセージということだ。
なので、マイナスに働くと回復するのに時間と労力が必要となる。
最も強力なメッセージであると考えれば、丁寧な説明があってこそプラスになるというものだろう。

【異動を受ける側に求められる視点】
社員としては、自分のキャリアプランにこだわるのは理解できるが、それは現在のポジションで考えたものでしかない。1つ上、2つ上のポジションであれば、自分自身はどう見えるか?どう判断するかも考えてみるのも、メッセージの受け取り方の一つだろう。

それでも納得できなければ、しっかりと話し合えるだけの意思表示ぐらいはすれば良い、
意思表示もせず、文句を言い続けるのは簡単だ。だけど現実逃避しているだけに過ぎない。「どうせ私は・・・」と自身のなかでつぶやきを繰り返すだけだ。そこにやる気もその気も何もない。マイナス方向に働くだけで、つまらんつまらんと仕事を続ける状態が続くだけだ。

【異動を下す側に求められる視点】
反対に経営者やその案づくりをする担当者は、人事異動から汲み取れるメッセージは、届かない場合もあるし、勘違いが起きることもあることを忘れないようにすることも一つだろう。

時間をかけて育ててきた人材は、それなりに成長している。経験も積み重ね、知識もつき、成長にともなって生活も変わり、価値観に変化も現れてくる。
どんなに美辞麗句を並べたところで、社員は見抜く。見抜かないまでも疑問に感じる。
結果としてモチベーションは低下し、これを向上させるために外的刺激を与え続けることが必要となり、時間とお金を無駄に使うことになるに違いない。
外的刺激はモチベーションのきっかけにはなるが、長続きはしない。

人事異動は次のステージに向かうための最強のメッセージであることを、双方が理解していれば、それだけでも事業が発展するのではないかとさえ思える。

件の彼等の納得度の違いは、この辺にあったのではないかと思える。

2020年2月24日追記:
この記事は2012年1月30日に投稿したものです。
きっかけは文中にある通り、スタバで小耳に挟んだ会社員の会話でした。
きっかけとなった二人を見かけたことはないけども、もし見かけたら、声をかけたいと思っている今日このごろです。きっと覚えてないだろうけど。



2011年12月18日日曜日

利他を育てるリタレンジャー

このところよく耳にする言葉に「利他」という言葉がある。
ある企業グループでは、1人の熱心なトップがいいだし、そこから広まった。
「利他でなければならない」と言い出した。
その時の私は、「利他」そのものは仏教用語であること、稲盛和夫氏がその経営哲学としてお持ちだったことを知っていたので、何をいわんとしているのかはすぐにわかった。
  
しかし、利他というのはカタチのあるものではない
こうしなければならないというのは、基本的にない話だ。
それをカタチにすること自体はマナーであり、ルールになってしまう。
わかりやすいのはボランティアだろう。
自発的に相手のためのボランティアをする。これ以外にない。
規則としてボランティアに参加するのは感謝されど利他ではない。
そこには自分の意志としての利他がないからだ。
あくまで心の話なので測定することやカタチにすることは」極めて困難なものだ。

というような話しをして、そうはいっても、この心の在りようを広めたいという・・・
なんとも無理難題だなぁと思いつつ、ひとまず話を聞くことにした。

➽➽利他の心を持つ会社にしたい?

●「それは最初からそういうつもりでやってる人達もいるし、そうでない人達もいるということですか?」
そうなんだけど、特に営業の動きを変えていきたいんだよ。

●「いつ頃から、そのようなお考えを持つようになられたのですか?
以前、過去にかなり業績が伸び悩んでいた時期があってね、グループ内で上位になれなかった、その時は諦めようかとも考えたし、今後もトップになれなかったら辞めることも考えるつもりなんだよ。

●「駄目だったら辞めるっていうのは、トップがよく言う言葉として聞いておきますが・・・その考え方自体はどうなんですか?それも含めて利他の心というものですか?」
・・・違うかもしれない。。。いや、明らかに違うな。なんだろうな。私はどうすればいいんだろうな。

<2021.03.08追記>
当時の私は相当エラそうに突っ込んでいたように思えます(苦笑)

●「もう答えはお持ちのような顔をされてますけど?」
まいったな。お見通しか・・・そうだね。まず私が利他の心に立てるかどうかだよね。

●「例えば毎年100万円かそれ相応のことを地域行政関係に寄付することと、同じ金額をお得意様だけへのサービスに当てるのであれば、どちらが利他となりますか?」
売上のことを考えれば、当然サービスにあてることになるが・・・

●「じゃあ、同じ100万円の寄付を地域行政にすることと、同じ金額を社員の賞与に足すのとではどちらが利他ですか?」」
キツイ質問をしないでくれよ!どっちも大切なんだし。だけどいざ選択を迫られると困るんだよな。

●「そこを社長自身が突破できないのであれば、社内にも広まらないのも当然かもしれませんね」
そりゃそうだ。私の決断次第で、大きく変わるのはわかる。けど変わらないかもしれない。何しろ利他的な活動をしてこれたのも、ずっと売上がついてきたからこそだから。いや、利他的な活動をやってきたからこそ、売上がついてきたともいえる面もあるんだよね。

●「ブランド認知という意味でも、利他的な活動をすることで業績につながる話をよく聞きます。そして利他的な活動をしている・していないということには、温度差があるようですが、その点についてはどのようにお考えですか?」
営業担当者の実績は、全員ある程度揃っているんだよ。とはいえ営業力として質が高いものでもない。つまり安定しているとはいいがたい。質を高めるには相手に役立つ営業でなっていないとだめなんだよ。

●「ということは、今までは極端な話、相手の役にたつかどうかは気にしない営業さんが多かったと?」
そういうことだね。ビジョンを掲げて以降に、利他という言葉に出会った。それでこれだと思った。

●「なるほど。危機感もあり、もう地場のお客様に役立つ方向で考えようとされたわけですね?」
そう、その通り。こういう話をずっと社員の集まりや、営業担当者とのミーティングごとに話してきているのだが、なかなか理解されない。そこで相談したわけだ。

●「うーん、もしかしたら耳の痛い話になりますよ」
いいですよ。受けて立ちますよ。

●「その言葉、絶対に飲み込まないでくださいよ」といって、私は提案書づくりに入った。

➽➽自らがその姿を部下に見せて、利他の心を示すこと

利他とはかくかくしかじかこういう行為を言う、といった説明がある。これはあくまで事例にすぎない。
利他の心を持っているという人はこのような言動をする、といった説明もしかり。
利他の心をマニュアル的に定義した場合は、そのような表現にならざるを得ないだろう。
また「利他の心」というのは、哲学的なものであって、マナー的なものではない。
いわば「教養」レベルの話だ。
 
「教養」を人に説く。
教養的なことだけに、話せば誰でも理解はできるものだろう。
要はそれを受け入れる素地があるかないか。まずここで差がつくことは間違いない。
受け入れたとしても、別の教養が邪魔をする場合がある。
孔子と孟子の違いといったところか。
つまり行動まで移した時にどのような方法を良しとするかということになる。
明らかにこれはもう別次元の話だ。

「利他の心」なる言葉を知らずに最初からそうしている人もいるし、そうでない人もいるということから、既に利他的な行動をしている人はいることは察して余りある。
この違いを明らかにできれば、なにか会社経営上、人材育成上のヒントを得られるかもしれないと思い、私はある提案をして調べることにした。
その違いと得たヒントは、ここに書かないが、結果はこのすぐ上の見出しのようになった。
つまり、提案書の表紙に書いたことだ。
「トップ自らがその姿を部下に見せて、利他の心を示すこと」
表紙の次からは、もう利他の実現に向けての取組のオンパレードだ。

➽まず利他戦隊・リタレンジャーをつくる

ではトップ自らがその姿を部下に見せるだけで十分か?
それだけでは、まず広がることはないだろう。
多少の広がりはあっても長く続くものではない。
なにしろ教養であり、哲学である。
これがカラダに染み付き言動に現れるまでどれだけの時間がかかるか誰にもわからない。
本気でやろうとすればするほど、我慢比べになるかもしれない。

情熱的に引っ張っていくリーダーがいるかどうかは大切だ。
ただこれだけでは無謀な挑戦も平気でやりかねない。
そこで必要となるのは、リスクをしっかりみる、慎重な人がメンバーに必要だ。
つまり情熱的なリーダーに対するストッパー足り得るサブリーダーは絶対に必要となる。
そうすると、リーダーAとサブBの間で口論が派生し、ケンカになる可能性もある。最悪険悪な関係性になってしまうこともあり得る。
そこで必要なのは、調整できる人。AとBからCを作り出すような人。
こういう人がいるかどうかが鍵。最低限でもA∩Bを見出そうと調整できる人が必要だ。
<2021.03.07追記>
現在は、A∩Bの人材はあまり求められていない 今後はA vs BからCを生み出す人が必要とされている。よく聞く言葉でいうと、クリエイティブな人、デザイン思考ができる人ということだ。
この3人がどちらかというと、フロントとなり、表だった行動していくことになる。

次に、総務管理部門とうまく連携して、後方支援をしっかりやってくれる人。つまり報・連・相も含めた情報とその経路を切らさないように社内調整が上手い人が必要だ。

最後に、計画を全体を組み上げていき、臨機応変に計画を組み替えていける人。
つまりはPDCAを早く回し、問題点を見つけて、解決策を素早く打ち出せる人だ。

こういった人たちがいるとフロントの3人は安心して動きまわれるし、建設的な検討も重ねていけるようになる。チームを組めば、かなり早く広まるだろう。
もちろんこのチームの中に企業トップが入っていてもなんらおかしくない。
問題は企業トップがどの役割についても、その役割を徹底すると同時に最終的責任を負うことだ。
そして私はこのチームに「5人戦隊・リタレンジャー」という名称をつけた。








➽ビジョンとの整合性を元に経営企画を練る

5人戦隊・リタレンジャーがしっかりと考える必要があるのは、まずビジョンとの整合性だ。
売上至上主義的なビジョンに、利他的な活動は覚束ない。もっと言うと取り入れるものでもない。
反対に社会貢献的なビジョンであれば、利他的な活動はピタッとフィットする。
しかしフィットしたところで、かってにビジョンが歩きだすわけではない。
ビジョンはあくまで妄想であり、理想であり、構想でしかないのだ。
そこからいかなる活動にしていくか、つまり方向性として利他の心が働き出すことになる。
まずリタレンジャーがこの整合性をしっかりと確認し、構想から経営企画を練ることだ。
この辺りから数字を扱うことになるので、利他の心はだんだん薄れていくことになるので要注意ではある。

➽前のめりになるような経営計画になっているか?

次に中長期経営計画。
ビジョンから整合性を保ちながら、落とし込んだものであれば、その説明・解説を聞く社員は、少なくとも以前よりも前のめりになるはずだ。そうでなければ中長期計画の意味はない
ならなかった場合は、整合性がおかしいか、あるいは、リタレンジャーそのものの存在が利他的ではないと判断した方がいいだろう。
利他は説得するものでもない。どこまで共感を得られるか、その共感に基づいて具体的に動いてくれるかどうかにかかっているわけだ。

<2021.03.08追記>
ビジョンや「利他」を伝えるにはどうすれば良いか?
こちらにまとめているので参照してもらいたい

➽利他は「常にそこにあるもの」

継続はチカラなりとはよくいったもので、一通りやったから、これで終わりだとする発想があるなら、最初からやらない方が良い。
利他の心というものは、ずっと継続していくものだ。ただし、継続していけば良いというものでもない。
???なことを書いているが、強いて言えば、利他の心は「常にそこにあるもの」なのだ。
その心が育つ環境と育たない環境は確かにある。
その差はその環境をつくろうとする者の教養の違いでしかない。

以上のような提案を作成し、プレゼンをした。
坊さんでもないのに、ほぼ説法の世界が繰り広げられたんじゃないかと思う。
そしてこれを丸呑みできるかどうかであって、ここはいいけど、ここななしというのなら、やらない方がいいし、やれるものでもないとも付け加えた。条件つきならこちらとしてもお断りしますということにした。仕事は喉から出るほど欲しかったけども。
果たして私の提案にトップも納得していただけた。

それ以降、このトップは、「利他」という言葉を軽々しく使うことはなくなった。
そのきっかけはこの提案にあったとも聞いた。
提案そのものは、最終的には却下となった。それはそれで仕方ない。
リタレンジャーに該当するメンバーがいないとの判断だろうと察した。
しかし、そんなことはどうでも良い。

しかし、それからしばらくの間、トップ自らが経営幹部と朝早くからミーティングを行い、営業担当者ミーティングにも参加し、資料づくりも時折手伝っていた。それが必要だと判断されたからだろう。
さすがに現場に同行するわけにはいかなかったのだろう、時折、営業担当者とは別に直接、顧客を訪問していたようだ。(と噂を聞いたが、確かめてはいない)

➽➽もうひとつの「利他」

中国からも招聘されたことのある書道家の母から聞いた話。
利他というのは、正確には「亡己利他」と表す。やはり仏教用語。
意味は見たそのまま。オノレをなくして他に利する。それ以上それ以下でもない。
それで母曰く「もうこ、りた」が「もう懲りた」にならんように。と言われた
さすが大阪のオバチャンだ。
日本では最澄が開いた天台宗で「忘己利他」と表したことが始まりとされている。
<2021.3.8追記>
上記の記事は2011年12月18日に書いた記事です。
某グループ会社がビジョナリー経営に本格的に乗り出した頃です
今から考えると、ずいぶんとえらそうな提案だったと思えます。
それぐらいのトンガリも私には必要だった頃だったとも言えます。
反省点はたくさんありますが、「利他」の理解については間違いはないだろうと思っています。
話は変わりますが、最近のキーワードでSDGsがあります。これとて、利他の延長線上にあるといえるでしょう。ただ個人レベルでできることを超えて、社会からSDGsに取り組んでいるか否かの事業者として見られる・ジャッジされていくことになると思うと、やはりルール化・仕組み化していかざるを得ないのでしょう。 
「社会に役立つことに取り組みながらも事業として稼ぎ・儲けを成り立たせていくこと」がSDGsのほんとのところでしょう。SDGsについてはいずれまとめる予定です。
その仕組づくりやビジネスモデルづくりにどこまで利他の心を持ち込めるのかといった難題は確かにあります。 
しかし「SDGs」というわかりやすい言葉は、我々に大きく舵を切れと言っているのです。これは心しておく必要があるでしょう。でも中には「利他」というのは日本のものであって、欧米にはない考え方と言う方もいらっしゃるでしょう。そうした方への回答としては、「altruism」という言葉があります。
話が少しそれました。
かのトップからはそれ以降もいろいろと依頼をしていただけました。
ビジョンづくりや理念づくり、これに基づくリーダーシップ開発などは高い評価をいただけたと思っています。現在私が進めているビジョン・ドリブンの土台をつくらせてもらえる機会を多々いただいた思いもあります。
感謝と尊敬の念はいつまでもあるのは確かです。

まるで「歩くビジョン」とまで言われた人だけに、お亡くなりになったと訃報を耳にした時は、「道半ば・・・」という言葉が思い浮かび、さぞ悔しかっただろう、残念だったろうと思うと同時に、その意志を継ぐ者の萌芽を残していったのだから安心していいですよと思ったものです。
もし今生きていらっしゃるならば、まちがいなく率先してSDGsに取り組んだでしょう。それだけは確信できます。

そして今、実際にその意志を継ごうとする経営者も現れてもいるし、これがそのまた次の世代に引き継がれていけば、その企業は、中小企業といえど、有数の会社になっていくことは間違いないと確信も持っています。

また現在、コロナ禍により緊急事態宣言も2週間延長されました。3/21までとされています。実行再生産数が落ちていかない限り、収束も終息もないと思うと、気も重たくなります。
それでも医療関係、宅配関係もさることながら、飲食店関係やその仕入れ先の方々には、死活問題でもあるので頭が下がります。なんとかならんのか、このジレンマは・・・というところでの戦いは長引くと、精神的にもきついものがあります。
それでも、単に「よろしくお願いします」と済ますよりは、自分の体調と相談しながら、何らかの協力を示していこうと思う今日このごろです。

あわせてコロナ禍に入った頃に書いた「協力意識」についてもご参考になれば幸いです。

 

 


 



 


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