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第6波への備えを企画的に考える

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 第5波が収束し、ワクチンもある程度行き届き、ちょっと安心しながらもマスクをほぼ100%の人が装着し続けているのは、日本人の特性と言われています。確かにみんなマスクはしているけれども、実際のところは、当たり前というより、とやかく言われたくないという気持ちも働いているのだとも言えます。できることならマスクはしたくはないものです。 街なかで店に人が出入りする様子を見ていると、手指消毒をする人は確実に減っているのは目に見えてわかります。飲食店を経営している知人に聞いても、消毒液の減りが第5波の真っ只中と変わりはないといいます。来店している人は、ものすごく増えているにも関わらずです。 また食品・食材販売の小売店では来店客数は変わりないものの、消毒液の補充頻度が減ってきたので、経費的には微々たるものの、コロナ以前から考えると余計な出費がなくなるのは助かるが、それでいいのかと不安もあると言っていました。 そういった話を聞いていて、思い出した話があります。日本人の「まじめ」以外のもう一つの特徴というものです。それは都合の悪いことは都合よく忘れる傾向が強いというものです。そのあたりが顕著になってきているのかもしれないなとも思えます。 いずれにしても感染防止のためには、これまで通りやらねばならないことには変わりはないのですが、この感染防止意識は減少しているように見えます。 ➽➽生活者の価値基準が変わった 景気が回復傾向にあるという話もありますが、その中身は、コロナ以前とは別物の様相も見て取れます。確かに総体としては上昇傾向にありますが、欧米のように大きく上昇しているわけではありません。ワクチン摂取の普及が欧米に比べて遅かったことにより、中和抗体価がまだ高いという側面もあり、人の流れが生まれています、人の流れ大きければ大きいほど経済は発達・発展していきます。 それで、よくよく見ると、現在の回復は、健康関連や生活必需品や高級品でもサブスクにチカラをいれている企業が大きく回復しているのであって、他は下止まりして留まっているか、相変わらず落ちていっているのが実情のようです。最近ではこれに○○ガチャなどの嗜好性も含まれているようです。 また、消費者の価値基準が明らかにこの2年間で変わったという話もありますが、消費者が自身の価値基準をわかってしまったということに他なりません。 簡単にいえば、健康

できる企画チームのチカラ7つ

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この2年間、コロナ禍の影響でどちらかといえば、自社シェアを守るための戦略が求められ続けていた。この間、従来弱みになっていたところに向き合い、しっかりと問題解決に取り組んだ企業は、結果的にそのマネジメント力が強化された。 日本国内においては、感染者数もかなり減ってきて、規制も緩和され始めているなか、いよいよ戦略的に「攻め」に転じる機運が高まってきた。 ここでものをいうのが企画力。 ➽➽企画はチームで取り組む 戦略立案ももちろん企画の範疇だ。 市場が多様化し、複雑化し、曖昧化し、細分化し、微細化していく なかで、製品・商品の狙う市場づくりやスイッチ、売り方、見せ方、などが求められる。 更に細かくいうと、イベント・プロモーションも含めたマーケティング、それに関する施策のプロジェクト・デザインから、そのプロジェクトの要素となるメディアやスペースやツールのデザイン、SNSなどへの発信なども含まれる。 こういった仕事は、少し前までは「企画ができる人」に集中していた。 しかし、上記のような範囲のものを一人でできる時代ではなくなったのは言うまでもない。 今はスピードが求めれる。企画して、すぐにリリースして、だめなところをすぐに修正し、また再リリースを繰り返し、成功までこぎつけるプロセスをどれだけ早くできるかが重要となる。  このプロセスはひとつだけではない。昨今はABテストという最低2つのプランを用意し、もっというとABの中からCを創り出す必要性が出てくる場合もある。つまりは、多くのプロセスを同時並行に走らせることも求められる。 こういったことの全体を一人で考えることは到底無理な話しだ。 チームで取り組むことが必須となっているのだ。  ➽➽どんな企画チームが必要か。 少なくとも企画という仕事に限っていえば、9時~17時で終えられる仕事ではない。この時間帯にやっているのは、ほとんどの場合、企画書にまとめることやプレゼンシナリオをまとめる作業に費やされる。というのが、「企画ができる人」に集中しているパターンだった。 彼らは、それ以外の時間で、遊びながら情報収集をし、買物をしながら情報収集をし、人と話しをしながら。食事をしながら構想を練ることが多く、今でもその傾向は続いている。 そこで「企画ができる人」のチカラを分解してみれば、どんなチームが必要かが見えてくるかも知れないし、チームづくり

企画は「将来の現実を創ること」

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前回の「これからの企画に必要なこと」 の続き。 時々、企画というのは、何でしょうか?と意味を求められることがある。 それを知っても企画ができるようになるわけでもないだろうが、一応は応えるようにしている。 ➽➽➽企画とは何か? 意味のみで言えば、企て画すこと。読んで字のごとし。 目的レベルでいえば、「当事者に価値をもたらすもの」 そして、私は「将来の現実を創ること」と定義している。 企画というのは、ビジネスに限っていうと、売上や利益、あるいはブランドイメージアップなどに貢献できるものをいう。単に社長や役員、社員がやりたいことをやるものでもない。 将来の現実といっても、「こうなりたい」「これを成し遂げたい」といったもので、それは現在置かれている状況から鑑みての妄想であることがほとんどだ。 この妄想を理想化し、構想化して、やっと現実味を帯びていくわけだ。 ➽➽企画とマネジメント この妄想➽理想➽構想としていくチカラを持ち合わせていない場合は、外部を頼ることになる。広告の殆どは外部を起用するのは、そういうことだ。 ところが、現在は外部を使わなくても、そこそこのものは社内の手弁当でできるようになってきたのも事実。テレビ放送で流れるCMでも明らかに素人がつくりました的なものが多くなってきているし、Youtubeで流れているような動画でもさほど差がなくなってきている。つまり、そういうチカラが社内に必要になってきているということだ。 少なくともマネジメント力があれば、その取っ掛かりをつくることはできる。だけど、管理することがマネジメントと考えており、それだけやっていればいいと思っている人には、そのとっかかりも見えないことが多いだろう。 ➽➽企画書や提案書に書くこと 企画書に入る要素は5W2Hで十分だと言われている。確かにそうだ。しかしここにマネジメント力の差が出る。 以下は、管理思考の強い人には、理解できない領域であるかもしれない。管理思考の強い人を企画チームに入れるとうまく行かないのは、これらの理由が大きいことは、私の経験上でも事実だと言える。うまくいった例はない。 ➽なぜ今なのか? マネジメント力が強ければ、必ず「それがなぜ、今必要なのか」がわかるように構成されている。 「なぜ、必要か」を枠で囲んで、図で表しているとは限らない。全体的に醸し出しているとしかいいようがないものもあ

これからの企画に必要なこと

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モノも情報も溢れかえっていると言われて久しい。 一定の規格を満たしていれば必ず売れるという時代は、遥か遠い昔の話。 市場には機能性によって、差を見出すこと自体が難しいものがわんさかとある。 高額な車はもちろん、日常的に使うパソコンや、日用品、食料品まで機能性が求められ、メーカーも機能性を高らかにPRできる商品を次々と出す。 世の中から「機能性」表示のある商品をなくしたり、その表示がなくても機能性を売りにしている商品をなくすと、店先から商品というものはなくなるのではないかと思えるぐらい、その数は夥しい。 そうするとますます商品ライフサイクルが短くなり、メーカーは新たなものが次々と出すことになるし、消費者にしても、SDGsを気にしながらも、新たな商品が出てくるのを楽しみにしているのが実際のところだろう。 ➽➽消費者は迷ったら買わない ○○○な機能が欲しいと考えて、いざ売り場に行ってみると、似たようなものがズラズラとならんでいて、目移りする。予定していたものが少し値段が高いものだと、売り場で知らなかった商品を目の当たりにして、目移りし、比較する。しかしその差がわからない。 するとどうなるか?消費者はどうするか?   答えは簡単だ、迷ってしまうのだ。高額になればなるほど迷い、悩む。そしてついには、買わない選択をして帰宅する。コロナ禍を経験して、身の丈にあったものや本当に必要なものは何かを考えるようになった。なので、こういった迷いから買わずに帰るという判断のスピードが極端に早くなってきているのだ。   そこで、機能で訴えられないのなら、その機能によって得られる気持ちや感情、更にはその企業に対する信頼といった「情緒」にいかに訴えるかを考える必要が出てきている。しかし情緒というのは、人の感情や気持ちだし、それぞれの価値観で左右される。そうするとその捉え方は千差万別。きわめて細かいターゲット設定が必要になってきている。細分化どころではない。微細化が求められている。ちょっと前のOne To Oneのより本格番だといってもいいだろう。 ➽➽求められる企画のチカラ ここに企画のチカラが求められているのだ。特に今後は営業やマーケティングにおいて、機能から入って情緒に訴える企画をできるかどうかで差がつく。 機能面でビジネスを企画PRをし、情緒面でブランディングを図るという流れも生まれだしてい

検索で問題の回避はできるが、最後は自分達の知恵

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何か問題が起きた時、検索してその解決策の手がかりを得ようとすることは、今や誰もがやっていることで、当たり前のことだ。 それが問題でなく、言葉の意味や単なる知識を得る目的であればなおさらだ。 いわゆる「人に聞くまでもない」にも通じることだ。   難しいのは、検索によって得られた情報によって、自分が抱えている問題を回避できる可能性はどれぐらいあるのか?ということだ。 結論から言ってしまえば、回避できる可能性は高い。 いや問題の回避はできるだろうが、「解決には至らない」のが本当のところだろう。 回避したことによって、解決した気になっているだけかもしれない。 解決しないままにしておくことは簡単だ。 誰かが代わりになんとかしてくれることもある。 その代わり、自分では解決できないものとなる。 そして、この先、同じような問題にぶち当たることになる。 その度に、検索で得た情報で回避して、その場しのぎをしていくか? 問題を解決するには、まずその問題に正面から向き合い、知恵を絞ることだ。 そしてそれを実行していくための、ほんの少しの勇気が必要だ。 その知恵を出し、勇気を奮うコツは、問題に正面から向き合った経験からしか生まれてこない。 そのコツを更に具体的にしてみると・・・ まず知識が土台としてある。これに知恵を働かせる。そうして動きをつくる。これに磨きをかけていけば成果となる。 ➽➽知恵を出し、勇気を奮うコツ そのコツを更に具体的にしてみると・・・ まず知識が土台としてある。これに知恵を働かせる。そうして動きをつくる。これに磨きをかけていけば成果となる。 ➽まず知識が土台としてある。 知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。大辞泉(小学館) もう少し具体的にすると、知識は学習や経験によって得た認識や理解した事実や情報も含まれる。好事例なども当然、知識の範疇である。 体系化されたスキルも知識の範疇だろう。 知識がなければ、何も始まらない。 知らないというのは、どこまでいっても知らないままでしかない。 検索することがちょっと面倒だと思った時こそが、検索をすれば良い時だ。   知識の土台が大きく分厚いほど良いと思いがちだが、そういうことではない。 仕事で使う知識は、今見ている範囲を少し広げるだけで良い。 むしろアップデートしていくことが必要だ。 アップデート

優れたチームにあるもの

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東京2020パラリンピックが終了して一週間が経った。今回の大会テーマの中にも「多様性」というものがあった。現在のオリパラがいずれは多様性のもとに統一される日がくるのかもしれない。それもひとつの多様性を認めるということにつながるとは思うが、それは遠い未来のことなのかもしれないと思いながら、 数ある競技の中でも、もっとも印象深かったのは、車いすバスケットボール。その激しい攻防を見ながら、2013年のギネスビールのCMに「チームとは何か」を感じた投稿をしていたことを思い出した。以下、加筆修正を加えて再構成した。 優れたチームにあるもの 社内の課題解決に向けた組織横断的なチーム活動を多く見受けられるようになった。 今後は、組織横断型のプロジェクトチームが発展し、事業部同士のクロスマネジメントが主流になることもあり得るだろう。 最近は社員の自発的に生まれたチームも見受けられ、社内の課題解決に向けて活動ができるといった環境が生まれてきているところもあるから、尚更だろうと実感している。 結果を出すチームの共通点 どんなチームであれ、望む結果を出すチームには共通点がある。 それを端的に表わしている動画を見つけた。 ギネスビールの2013年のCM。 Guinness beer wheelchairs basketball commercial CMの途中のナレーションは以下の通り。  Dedication(献身)Loyality(忠誠)Friendship(友情) The choices we make reveal the true nature of our character. (何を選択するか。私達の本質が明らかになる) 献身・忠誠・友情はチーミングに大切な要素であることは間違いない。 友情といっても相手を思いやるという意味に留まらず、互いの切磋琢磨といったものも含まれるだろう。 CMではそれもこれも 「何を選択するか」 次第ということを言っている。 ここが最も重要なメッセージだ。 チームづくりをしましょうといっても、ひとり一人の選択次第で良くも悪くもなるということを表している。 選択しても、行動が一致していなければ何にもならないということだ。 また「何を選択するか」に多様性へのメッセージも込められていると思える。 ひとり一人が自

感染症と経営-戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか

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 「感染症と経営-戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか/清水剛」を読了。 「きっと吉尾さんの欲求を満たすと思います」と友人の教授からお勧めしてもらったもの。 とはいうものの、読む目的がはっきりとないまま、ゴールデンウィーク前に購入し、積読山に置いていた。 著者は東京大学大学院総合文化研究科教授。 帯のキャッチコピー:~戦前日本の記憶がコロナ後「生きる」ヒントになる~ とある。 https://amzn.to/3uF73kc  なんとなく気になるので、自分が何を気にしているのかを明らかにするために自問自答。 結局、「戦前の『感染即死型社会』のなかで、企業はどのように機能していたのかを知りたいことと、コロナ後の動向へのヒントを得たい」につながるかもしれないということを目的として読み始めた。 ➽➽経営者や役員は読んでおいた方が良い 学術系の書籍で、論旨の展開もその通りで、いわゆるビジネス系の書籍と思って読み始めると「なんじゃこりゃ」ということになるかもしれない。 著者は総合文化研究の教授で、企業システムと経営学と法制度を研究している人なので、実践するためのネタが掲載されているわけではない。そこは勘違いしないようにしたいところだ。    「序章」だけ読んだみると、これは帯通りの書籍であることはわかる。 戦前日本では感染症が現代よりもはるかに死に直結していたとするところからスタートする。 スペイン風邪や結核の脅威=「死」がすぐそばにあり、それが小説「細雪」、流行歌「ゴンドラの唄」(「いのち短し恋せよ乙女」の一節が入っている曲)にもそうした現実が刻み込まれていて、それらは黒澤明の「生きる」にもつながるといった感じで、文芸作品なども使って戦前の企業経営を振り返り、アフターコロナの企業経営の在り方を示唆する経営史でもある。 戦後の他の文芸作品や企業スポーツの話しも登場してくるので、しっかり目的を持って読み進めていかないと、頭の中が混乱するだろう。     特に第6章では戦前のサラリーマンの話しが多く出てくる。戦後からのサラリーマン像はいわゆる「◯◯マン」と称されるようになることが一人前とされ、その所属する企業との永い関係性を維持していくことが重要とされていたが、現代のサラリーマンが「企業に閉じ込められないためにどう在ればよいのか」という示唆しているところもある。自立・自律と

銀座品質がコンテンツとなる宅配サービスに感動した

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今回は、あるデリバリーを体験し、感動し、何を読み取ったかの話を少々。 先日、「美味しい銀座デリバリー」というサービスを利用した。試しにというつもりで、マンション管理組合で会食するために数日前にオーダーをしていた。 ➽➽単なる宅配・デリバリー業者ではないと感じた 当日の依頼時間範囲にデリバリーに来てくれたのは、当然と言えば当然だろうが、オートロックのモニターに映し出されたデリバリー担当者の姿に驚いた。 ➽丁寧さと気配り スーツを着ている。いくら夕方だったとはいえ、都内は夏日。暑いだろうなと思いつつ、通話ボタンを押して返答すると、 「銀座デリバリーから参りました」 と返ってきた。よくある「◯◯◯で~す」と間延びした挨拶ではない。 この時点で、いわゆる他のデリバリーとは違うなと感じたと同時に、「それはわざわざどうもありがとう」という気分になりつつ、ロックを解除。    しかし、なかなか部屋まで来ない。 それもそのはずだ。ウチのマンションは、番号順に並んでいない。 メゾネットの部屋が複雑に入り組んでいる。 例えば108の隣が207。その隣が302でその隣が105といった感じで、10年以上住んでいる者でも迷うぐらいだから、初めて来た人が、その規則性を見出すには無理がある。しかも我が家の位置は、入ってすぐの棟から更に奥に入る必要があり、その通路はうっかりすると見落としてしまうという、かなり防犯上の対策が強めに施されている(入口に地図はあるにはあるけど、見落としてしまうぐらい小さい。)   全てのデリバリー(ウーバーとか、ネコのおごりとか、店舗ダイレクトとか)で、一発で我が家までたどり着いたものはない。 ヤマト運輸や佐川急便でも、地域担当者が変更になると、最初は必ず迷っている。 なので、普段は、こちらから敷地内の目立つところまで出ていって、ウロウロしている担当者を見つけて、その場で受取ることになる。   今回の銀座デリバリーの担当者も、案の定、同じように迷っていたので、こちらから声をかけ、その場で受け取ろうとすると、丁寧な返事が返ってきた。 「よろしければ、玄関までお持ちします。」 というのだ。 そんなの駄目ですという話ではなく、 「ぜひそうさせてください」という意味 だ。つまりは営業担当者発想の言葉使いだ。 ➽銀座品質を保つ工夫と確かな運搬技術 受け取った食事は、不織布の風呂敷

「伝わらない」から抜け出す5つの鍵

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プレゼンテーションについて、聞かれることが多い。 上手にやるにはどうすれば良いかというものだ。 よくよく聞いてみると、レベルは様々で、なおかつ相手は特定の人から不特定多数に至る。 これら全てをどうやれば、うまくできるのか? 全てうまくいく方法はおそらく、ない。 あるのは 基本だけだ。あとはテクニックでしかない 。 実はプレゼンテーションについて、うまくできない理由には共通点がある。 文字通り「説明するには?」「伝えるには?」「報告するには?」「発表するには?」「提案するには?」「心を動かすには?」「心をつかむには」・・・どれひとつとっても「自分」が主体になっていて、これらの言葉の前に必ず「上手く」「確実に」となんとも欲張りな言葉がつき、いろんな方法を試し、これじゃないこれじゃないと探している。 このような人は永遠に満足できる方法というものは見つからないだろうし、自分のプレゼンが伝わらないとずっと泣き続けることになるだろう。 ➽➽「伝わらない」から抜け出す5つの鍵 確かにプレゼンテーションの範囲はどんどん広がっていて、報告レベルのものであっても提案が求められるし、説明だけでは「で?その後は?」と提案を求められる。2010年以降はそういう時代だ。 ➽①最低限のアドバイス:どっち向いてる? プレゼンテーションといっても、コミュニケーションの1つである「伝える」の発展形だ 。 なので、コミュニケーションの「伝える」基本を理解しておけば、後は応用なので、そんなにややこしいものでもない。 伝える基本中の基本といえば、 「気持の向き」 だ。どっちを向いているかの話。 説明するにしても、発表するにしても、提案するにしても、それを相手に届くように、そして受け取れるように投げているかということだ。(コミュニケーションはキャッチボールと聞いたことあるでしょ?) ●伝えることが多く、時間がない場合、早口になる➽気持は自分が全てを言い切ることに一生懸命で相手は不在になってしまう。 ●失敗しないように失敗しないようにと声が小さくなる➽気持はこの時間が早く終わって ほしい気持が増大し、相手は不在になってしまう。 ●そもそも人前に出て話すこと自体が苦手なのでいやいややっている➽とりあえず説明しておけばいいと割り切ってしまうと、これも相手が不在になる プレゼンテーションでも同じで、 相手に伝える気持

太く、行く - -Vadis,Get Bold

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 昨年の2月末に今年の人材・組織開発に関するテーマを掲げた。 しかし、そのすぐ直後の4月。コロナ禍における初めての緊急事態宣言が発出され、そのテーマより、後に考えていたテーマを前倒しにせざるを得なかった。 さて、2021年度の人材・組織開発のテーマはどうするか? クライアント各社の方針各々から、導き出すものには、全クライアントに共通するものもあれば、共通しないものもある。 とはいうものの、共通しないものは、ほんのわずかだ。 基本的には経営戦略はどこも、今年に限っては事業や組織のレジリエンスであり、リカバリーで共通している。社会全体がそっちに動きはじめているのは間違いない。 単にコロナ以前の業績ややり方に戻すことを目指すだけで済むなら、そんなに楽なものはないだろうし、それでいいなら、今まで新たなことはやらなくても良かったのだとも言える。 何にしても、 コロナ以前の業績ややり方に戻ることはできないだろうから、「できない理由」を並び立てていれば、それでOKな年になるかもしれない危険性を今年は孕んでいる 。 これは肝に銘じておきたいところだ。 今年限定のレジリエンスやリカバリー 社会的にも、レジリエンスやリカバリーが来年以降も続くようだと相当きつい。 レジリエンスにもリカバリーにも、それぞれ デジタルによる業務改革と働き方改革がもれなくついてくる のは最早、経営者やマネジメント層であれば、誰もが理解している。 理解していないのは、理解しようとしていないだけのことだろうし、理解できないふりをしているにすぎないと捉えている。 コロナ対策としてのワクチン摂取体制づくりも行政ごとに任されている。事例好きな行政であればどこかのパターンをそのまま導入する。これにはアジャストすることも含めると余計に時間がかかる。結果、受付手続きの煩雑さが予想される。健常者が摂取できるのは、早くて7月~9月前後と見ておいた方が良いだろう。 その頃は、夏場なので、新型コロナも多少はおとなしくなると思われる。 問題はこの頃に本当にオリンピックが開催されるか否かだ。 開催されるとなると経済効果は、当初の計画ほどは望めないものの、こればかりは、政府がどのような判断をするか、各国が選手団を送ってくるかどうかで、大きく変わる。 そんなこんなを昨年末から考えながらも、2021年度をどう進めていくかを考えていた。 すると

2021年 謹賀新年 新常態への本格的スタート

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新年、明けましておめでとうございます。 昨年はいつもとは全く違った日々の連続でした。 弊社の仕事はずっとオンラインのみの対応でしたが、それでも続けさせていただけたことは、新たな仕事の取り組みの構築のお手伝いになったのではないかと捉えております。クライアントの皆様には、お礼を申し上げるとともに、とても大切な思いを共有させていただけたと感じております。 ➽➽不確実ではない時代はなかった かつてない不確実な環境下で2021年が始まると言われています。 では不確実でない時代というのは、本当にあったのか? 最初にこの疑問が浮かびました。 少なくとも私が学生の頃に流行った J・ガルブレイス著「不確実性の時代」 以降、一度も確実な時代はなかったのではないかと思えます。 ➽「どうにもならない」と「異質な不確実性」 さらにコロナ禍により、個人の生活も企業の活動も一変しました。 我々が置かれている現在の状況は、人の流動性を高めて経済を活性化し、感染が拡大すると防止に切り替えるという極端な振り幅を持ち、これこそが、 "Nothing can be done" (どうにもならない。)と 分断の流れを強化する ように思えてなりません。 これまでとは異質な不確実性の中に生きている のだと思えます。 本当のVUCAな時代になってしまったということです。 そして「一年経った」ということだけであって、「どうにもならない」といえるほどの経験値を積んではいないのも事実でしょう。 経済活動というアクセルと感染拡大防止というブレーキは、今のやり方とは違う全く違うやり方が存在し、それは誰もが全く経験したことのない、変えられないとされてきたものの中にこそあり、これが新常態(ニューノーマル)の正体であるのかもしれません。それがどんなものか、誰もまだ見つけていません。 意外に単純な答えかも知れないとも考えています。 ➽変えられないという選択肢はないかもしれない 従来ならば、変えられるものと変えられないものがはっきりと分かれていました。 テレワークひとつとってもわかるように、 変えられるものであっても変えられないとしてきたのは、我々の感情や思い込みに過ぎない ものでした。 それでも変えられないものは本当にあるのか?多分あるでしょう。 あるでしょうが、 本当に変えられないものかどうかを今一度吟味して