正論で協力は得られない


協力という要求

先日、大阪・梅田で東日本大震災の義援金を募集していた。
「義援金のご協力をお願いしま~す」と大きな声で呼びかけていた。
一見、少し胡散臭そうな感じもした。

「もう自分ができる範囲ではした」
「またできる余裕ができればする」と考えていた。

それでそのグループの前を通り過ぎようとしたところ、
一人の女性が私の前に募金箱を突き出し、「よろしくお願いします。」と迫ってきた。

「いや、ちょっと今回は・・・」というと、
「どうしてですか?東北の人が困っているんですよ。」
「急いでるんで、ごめんね。」と彼女をかわして先を急いだ。

「東北の人は待っているんですよ。協力すべきですよね!?」
ちょっとヒステリック気味な声が背中に聞こえた。

阪急梅田駅を目指して歩きながら考えた。

「協力すべき・・・ってなぁ・・・」
しんどい人達だなぁ、あそこまで言われたらうっとうしい。と思った。

協力は相手から引き出すもの


その「引き出す」時に「正論」=「べき論」を持ちだされるとやっかいだ。
それはそれで正しくて、誰もが納得し、同意はする。
同意はするけれど、行動に移すとなると躊躇することは多々ある。

その躊躇には、邪魔くさい、めんど臭い、私はいいとかいろいろそれなりの理由がある。
そんな人にやれ邪魔くさがるな、もっと困っている人のことを考えろと言っても糠に釘。












協力を引き出すにはどうしたらいいか。
別にどうこうというものではないと思う。
一つだけ言えるのは、「こころよく協力しようと思ってくれるかどうか?」だけだ。

協力を得たいのなら、引き出すように考えるべきだ!
ああ、正論を言ってしまったよ・・・あかんがな。

修行がたりんな。




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