2020年1月18日土曜日

べき論でがんじがらめ

先日のこと。他の講師がやっている「マネージャ研修」のテキストを見せてもらった。
やたらと「~するべき」と記述されていた。マネージャとして、こう在るべき、こうするべきが延々と書いてあった。

吐き気がした「べき論」の連発

あまりに多いので、約30ページからなるそのテキストに出てくる「べき」の数を数えてみると、約350個。途中で気分が悪くなってきた。それこそ吐きそうだった。
「それだけ、しっかりマネージャとして動けていない人が多くなってきているのから、これぐらいでちょうどいいんです。」と言われた。それはそれで理解はできる。だけど気持ち悪いことには変わりはない。
「ほんとにそう思ってるんですか?」と聴いてみた。「いやいや批判する意味でやってるわけではないですよ。」の回答に少し吐き気は収まった。

「べき論」とルールが多い企業の共通点

べき論が多い企業では、やたらとルールをつくる。その土台になっているのは、様々な研修で教わったこと。しかも教わった知識を自社に合ったカタチに変えずにそのまま適用させている場合がある。そうやってルールがどんどん増えていく。ルールを守らせるために更にルールをつくる。まさにルールのためのルール。
べき論とルールでかんじがらめ
ルールが多い企業の共通点は、それだけ仕事に対するモラルや向上意欲、成長意識が低い人が多いということだ。まさしく鎖でがんじがらめになっていて、仕事すること自体に希望を見いだせなくなっていたり、仕事そのものが、只々しんどいものでしかないものになっているようにも見える。
もちろん会社だけの問題ではない。個人の資質として「べき論」が強い人もいるだろう。

べき論を振りかざす人

それでふとクライアントの社員さんのことを思い出した。
「マネージャなんだから、こうするべきですよね。でもうちの上司はそれができないというか、しないんですよ。」と言っていることが多くあるのだ。「べきべきべきべき」言っている。そして否定の塊と化していく。周りに人からも「否定的な人」と言われている。本人の話をよくよく聴いてみると、そういう上司のことはだんだん嫌いになっていったという。あらら・・・という感じ。

このような人は研修などで学んだ「べき論」を使って、上司の至らないところを攻撃する材料に使っている側面がある。それこそ完璧さを求めている。気持ちはわからないでもないけれど、そういうことに使うものではないだろう。

またその「べき論」を教えている講師の意図することでもないだろう。
しっかりマネージャとして機能していない人が多いから、それができるようになってもらいたいという思いからそう言っているだけなので、そこは気をつけてもらいたい。

全てがしっかりできるマネージャを私は会ったことがない。「ものすごく優れている」といわれているマネージャと言われている人には何人にも会ったことはある、それでもテキストなどで書かれている「べき論」から見ると完璧ではない。それが実情です。ただ「ものすごく優れている」と言われているマネージャは、そう在ろうと努力はしている

教えている側の講師にしても、完璧にできているわけではない。教えながらも自分自身に刺さって「ああ、言ってしまってるよ」と痛い思いをしながら伝えているはず。少なくとも私はそうです。ただ解説している時に講師自身の話をする時は、良い事例しか言わないし、克服してきたことしか言わない。失敗で終わった話はほとんどしないだろう。だから講師の言っていることを「正しい」と捉える側面もある。これは講師側の問題でもあることに違いない。

ルールから生まれた仕組みはいずれ形骸化する

話は少しそれるが、ルールは仕組化されている場合もある。仕組にするとそのプロセスにしたがって進めていけば業務は進むし、こなせるようになる。生産性も確かにあがる。しかし出来上がった仕組みとして、そのままずっと続けることには疑問がある。

時代が進むにつれて、テクノロジーが進化し、それにともなって新たな思考方法も開発され、さらに価値観の多様化によって判断の基準にも影響してくる。そうすると従来使ってきた仕組みも形骸化する。形骸化していることに目を向けないで、そのまま続け、その通りやるように指導することに終始していると、その仕事に携わる人は、やがて考えなくなり、支持されたこと、言われた通り、教えられた通りしかやらなくなる。

それではマネジメントではなく、単にマニュアルにしたがってオペレーションしているだけだ。その仕組で動いている社員にしてみれば、つらい毎日が続くだけ。そのうち自分自身の精神を麻痺させていかなければ続かなくなる。強くストレスがたまる一方となりこれはしんどい。


【2020年1月17日追記】
先日、クライアントの引退間近の営業マネージャが会議のなかでの発言。「これまで同じ仕組で、同じやり方を続けて来たけど、これがいつまで続くのかと思うとゾッとする。私自身もずっとなんとかしようとやってきたけど、もう通用しないようになってきているとヒシヒシと感じます。やっぱりある程度は社会やお客さんの変化に合わせて、変えていくことも考えなくちゃね。」彼女は従来の仕組みのなかで、ひたすら工夫してきた人で、確実に成果を出し、周囲からもアテにされてきた来た人なのだが、引退間際になってきて、後輩達のことを思っての発言だったのだろうと思える。

理念とビジョンにより判断する

じゃあ、どうすればいいのかということになるのだが、明確な方法そのものがあるわけではない。ただマネージャに関して私が言いたい「べき論」はただ1つ。

理念とビジョンにより判断すること

「べき論」を語ったり、ルールをつくる時、それは理念に基づいているか?ビジョンに向かうことになるのか?で判断すること。それだけで良いと思っている。

もう少し噛み砕くと・・・
①部下のチカラが発揮できる職場環境を常につくり続けること。
部下の置かれている状況というのは、刻々と変わる。特に現場での変化は激しい。現場の声に耳を傾け、状況に合わせて環境を調整していくこと。

②マネジメントするということはルールによって支配することではないとわきまえること
昔は支配するニュアンスがあったとは思う。それこそ生きることに必死であった昭和初期あたりはモラルも何もあったものではない時期もあったという。だけど経済が発達した今は部下が屋台骨となって支えてくれているのだと思っていてちょうど良い。そのうちまた支配のニュアンスが強くなるかもしれないけれど、きっと違った「支配」が生まれてくるに違いないだろう。

③「べき論」を連発し、振りかざし、上層を批判しないこと
特に中間管理職に多いく、部長や役員レベルになっても中間管理職意識から脱却できていない人に多いのだが、自分自身ができていることなら、いざ知らず、やってもいないことをあれこれいうのは百害あって一利なし。納得いかないのなら、しっかりと上司と話し合えばいいことだ。上司にしても完璧ではないし、絶対ではないので、気づいてくれるかもしれない。

そう在ろうと努力すれば良い。

「べき論」にしてもルールにしても少ないにこしたことはない。
かといって自由度が高すぎるというのも、企業としての統制がとれなくなる。
難しいものだとは思うが、「べき論」をかざす時は、「そうあった方がいい」というレベルのことだと思っていてもいいのではないかと思える。そうやって日々考え、努力を積み重ねていくことが大切なんだろう。

【2020年1月17日追記】
以上の記事は2008年1月16日に書いていたものです。
近年では、SNSで職場テロ的な写真がアップされて、炎上して、不買運動が起き、企業の業績にマイナス影響を与えたというものがありました。こういったものも訴訟沙汰になって、結局賠償問題に発展し、SNSに投稿した人達も社会的制裁を受けました。仕事を楽しむことことと悪ふざけは違うということがわからなかったのだろう。こういうことがルールをつくり、「べき論」を増やすことになり、結果的に自身の自由度を自分で奪っていくことになってしまうわけですね。困ったもんです。

2020年1月13日月曜日

ビジョンドリブン 妄想を理想に。更に構想へ。


ビジョン・ドリブン-ビジョンは他の人には見えない妄想から始まります
ビジョン・ドリブン
ビジョンは他の人には見えない妄想から始まります

妄想を理想に。更に構想へ。

●ビジョンの最初は「妄想」です。最初は一人の妄想に過ぎないことが多いものです。ですがこれを言葉にほって明文化することにより、妄想に「勢い」が生まれ始めます。

●勢いのある明文化された妄想は、会社全体・社員間で話し合い、共有を重ねていくことで、全員の「理想」に変化していきす。もっとも時間がかかる段階でもあります。もちろん理想に対して背を向ける人も出てくることもあります。だからといって排除することもなく、その意見もしっかりと検討内容に入れていくことで、より多くの賛同を得ることに繋がります。

●賛同を得て共有された理想をそのままにしていても絵に書いた餅でしかありません。ここで重要なことは実現していくための「構想」を練ることです。妄想・理想を成し遂げていくうえで、どのようなものが必要とされるのか?それらをどのように準備していくかを検討します。また、この先どんな社会変化が起きるのか?予想は難しいものがありますが、政治や法律によって確定された将来というものもあります。まずはこれらの影響に対してどのような手を打っていくかを検討していきます。

VisionDrivenConcept
●構想はあくまで「どのようなものか」という基準でしかない場合もあります。大事なことは判断できるほどになっているかどうかです。そして構想から実現可能な計画をし、必要なリソースやスキルを明確にし、人材や組織に関しては、必要に応じたプロジェクトやトレーニングなどを「実装」していきます。

●実装してしまえば、求める結果に向けて、目標に向けて計画を進めていくことになります。実際は調整しながら「実走」します。

このプロセスをサイクル化し、妄想や理想に留めず、個人の学びをチーム・組織の学びとしていくことが学習」する組織としての確実で早道であると弊社では考えています。
そしてこのビジョン・ドリブンに関して、弊社ではいくつかのメソッドと既存サイクルを利用しています。




人材のチカラを活かして推進する。

理念とビジョンが企業を表すものであると同様に、働く一人ひとりも自分自身を表すものを持っています。これをセルフコンセプトといいます。このセルフコンセプトは弊社では「個人の精神的な拠り所」と定義してスタートしておりましたが、回数を重ねていくに連れ、導入クライアントから評価もあり、「個人の価値観の明確化」と再定義してものです。
一人ひとりが自分の価値観を明確にし、企業とのアライメントが図ることで、企業にとっては個人のチカラは単なる労働力というよりも推進力としてアテになるものに変化していきます。しかし個人のチカラをアテにするには、会社としてそのチカラを発揮できる環境を整えることが絶対に必要だとも言えます。
どう在り、どのように活動するのか?どこに向かって何をどれぐらいするのか?企業として明確にしていくこともさることながら、一人ひとりが自律的に考えて行動していくことで企業のビジョン実現へ確実に進み出します。
弊社では、人材・組織開発とこれに伴う事業支援をビジョンドリブンで進めています。

2020年1月7日火曜日

コミュニケーションでのポリリズム~Perfume

2007年11月6日に書いた「質問とポリリズム」の焼き直し。
パフュームが2019年末の紅白歌合戦で、久しぶりにポリリズムを歌っていました。
それで、随分前に書いたこの原稿を思い出しました。10年以上経っても言いたいことに変わりはないのですが、読み返してみるとわかりずらいものだったので、書き直すことにしました。以下、焼き直したものです。
以下、焼き直し。
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時として質問は何でも良いと以前に書きました。今回はその続きです。

コミュニケーション研修で学ぶこと

大事なことは、どこまでも相手のペースに合わせて、根気よく言葉を交わしていくことです。時には具体的なアドバイスも必要な場合もあるでしょう。そうすることで二人のペースができてきます。いわゆる「合う」という状態です。
本来、人それぞれののペースは違うものなので、複合的なペースではあります。
ペースが合いだしたら、それをキープしていくことが大切です。
と、ここまでは大抵のコミュニケーションの研修では教え、教えられることです。

ペースが合うことに対する疑問へのヒント

では、ペースが合ったところで、発する言葉のリズムはどうでしょうか?
お互いにペースは合ってはいるものの、一方は速く、一方は遅い。
それでもペースは合っているのは、錯覚ではないのか?
コミュニケーションの研修をする立場でありながら、そのことにずっと疑問を持っていました。
そこに一つの解答のヒントを与えてくれたのは、パフュームの「ポリリズム」でした。

以下、WikiPedia からの一部引用です。
「ポリリズム」の歌唱部では音楽用語でいうところの複合拍子(ポリリズム)は使用されていないが、間奏部ではいままでの4拍子の流れに「ポ・リ・リ・ズ・ム」という日本語発声の5つの音韻をそのまま5拍でのせて繰り返すことにより、ポリリズム(それも最も基本的な)をつくり、楽曲名と楽曲構造が重なる部分を作り出している。さらに、ベースは3拍、高域のシンセによるシーケンスは6拍で組まれており、決して4拍子の流れに5拍の音韻を乗せただけの基本的なポリリズムではなく複雑な構造となっている(この間奏部には少なくとも4種類の異なるリズムが重ねられている)。
言葉の持つリズムが人それぞれで、ペースが合っているのなら、それはポリリズムで成立しているということなのでしょう。お互いのリズムの最大公約数的なものをペースをあわせていく内に見つけ出しているのでしょう。複合的なポリリズムは会議そのものです。

それでも会話が進まないこともある

しかしペースもリズムも合って、ポリリズムになっているのに、コミュニケーションが進まない場合もあります。
それはつまり、同じテーマであってもコンテンツレベルが合っていないということです。
片方が問題の解決策ばかりを話をし、片方が問題による原因ばかりを探っているといった状態です。

コンテンツレベルについてはいずれ書きます。

パヒュームの♪ポリリズム♪










2020年1月1日水曜日

2020年 謹賀新年 バランスを取れる石

バランスを取れる石

新年、明けましておめでとうございます。

昨年末より今年はどんな年になっていくのか?どんな年にしていくのか?ツラツラと思い浮かべていました。そんな中、Twitterで1970年の大阪万博での三菱未来館が描いた50年後=2020年の姿が話題になっていたことを思い出しました。

技術革新と国際情勢から来る変化

この1970年の万博をリアルタイムで観た時は、子供心にワクワクするものがありました。 一部は実現しているものもあります。これらはほぼ現在の技術革新がもたらしたものです。特に通信とそれを活用するスマートデジタル機器の進化はビジネスや生活に大きな変化をもたらしてきました。今年は5G通信が始まり、更に大きな変化を促す年になっていくのでしょう。 

今年は東京オリンピック・パラリンピックの開催があります。開催前と開催中は景気は上昇すると見込まれていますが、開催後は減退するだろうと言われています。またキャッシュレス決済利用還元も終了します。これらがどのようにビジネスに影響してくるのか?更に地方の人口減少と財政難は加速する一方です。また地球温暖化とこれに伴う大型台風の発生は加速していく一方です。
そして今年は国際面でもいろいろと影響がでてきそうなものがあります。例えばアメリカ大統領戦、イラン問題、台湾総統戦、香港の立法選挙、ドバイ万博、ブレグジットなどが、その最たるものでしょう。
身近なところでは目的不在のままカタチから入った働き方改革は、すでに形骸化しつつあり、何が変わったのか曖昧で成果が見えない企業も増え始めています。アイドルグループ嵐の活動休止も働き方改革の一例だと考えられます。
都内においては高輪ゲートウェイ駅や虎ノ門ヒルズ駅の開業によって、人の動きが変わり、どのような経済効果が生まれるのかも気になるところです。

VUCAな状況が続いてもチャレンジすること

昨年末、クライアントから「グループ企業全体の・・・グループのビジョンをつくりたい。10年後の姿を描きたい」というオーダーがありました。グループのトップとして上記のような技術革新や国際情勢からの影響も考えると、心中穏やかではない状態なのでしょう。10年どころか3年先も見えないというのが本心なのだろうと思えます。

VUCAな状況が今後も大きく変化し続ける中で、将来に対する「意志」がなければ、日常における「意思」がなければ、変化に振り回され、単なる「石」になってしまいます。
しかし「意志」と「意思」を持ち続け、変化に振り回されることなく、判断を重ねていけば、石は石でも「バランスを取れる石」になれるだろうとも思えます。

【石】・カタチそのものは不変
   ・神話においては恐怖や不安で人が石化し、やがて砕け散る
   ・君が代の「さざれ石」のように、他の素材との関係性において成長する

弊社は変化を恐れず・逃げず・振り回されず、将来にチャレンジするクライアントの皆様が描いた「妄想」を実現するための燃料となれるよう全力を尽くします。
手始めとして、何年も、何回も中途半端になっていたブログを再開することにしました。 

今年もよろしくお願いいたします。

2020年 元旦

株式会社ガンビー・コミュニケーション 代表取締役 吉尾直記

#visiondriven

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普段、さまざまなクライアント様とのセッションのなかで お伝えしていること・お伝えしきれなかったことも含めて ほぼ毎日、伝えております。 時々、脱線して個人的なやりとりもしております。 いいねをしていただけたり、リプライ、RTをしていただけるとありがたいで す。 https://t...