利他を育てるリタレンジャー

このところよく耳にする言葉に「利他」という言葉がある。
ある企業グループでは、1人の熱心なトップがいいだし、そこから広まった。
「利他でなければならない」と言い出した。
その時の私は、「利他」そのものは仏教用語であること、稲盛和夫氏がその経営哲学としてお持ちだったことを知っていたので、何をいわんとしているのかはすぐにわかった。
  
しかし、利他というのはカタチのあるものではない
こうしなければならないというのは、基本的にない話だ。
それをカタチにすること自体はマナーであり、ルールになってしまう。
わかりやすいのはボランティアだろう。
自発的に相手のためのボランティアをする。これ以外にない。
規則としてボランティアに参加するのは感謝されど利他ではない。
そこには自分の意志としての利他がないからだ。
あくまで心の話なので測定することやカタチにすることは」極めて困難なものだ。

というような話しをして、そうはいっても、この心の在りようを広めたいという・・・
なんとも無理難題だなぁと思いつつ、ひとまず話を聞くことにした。

➽➽利他の心を持つ会社にしたい?

●「それは最初からそういうつもりでやってる人達もいるし、そうでない人達もいるということですか?」
そうなんだけど、特に営業の動きを変えていきたいんだよ。

●「いつ頃から、そのようなお考えを持つようになられたのですか?
以前、過去にかなり業績が伸び悩んでいた時期があってね、グループ内で上位になれなかった、その時は諦めようかとも考えたし、今後もトップになれなかったら辞めることも考えるつもりなんだよ。

●「駄目だったら辞めるっていうのは、トップがよく言う言葉として聞いておきますが・・・その考え方自体はどうなんですか?それも含めて利他の心というものですか?」
・・・違うかもしれない。。。いや、明らかに違うな。なんだろうな。私はどうすればいいんだろうな。

<2021.03.08追記>
当時の私は相当エラそうに突っ込んでいたように思えます(苦笑)

●「もう答えはお持ちのような顔をされてますけど?」
まいったな。お見通しか・・・そうだね。まず私が利他の心に立てるかどうかだよね。

●「例えば毎年100万円かそれ相応のことを地域行政関係に寄付することと、同じ金額をお得意様だけへのサービスに当てるのであれば、どちらが利他となりますか?」
売上のことを考えれば、当然サービスにあてることになるが・・・

●「じゃあ、同じ100万円の寄付を地域行政にすることと、同じ金額を社員の賞与に足すのとではどちらが利他ですか?」」
キツイ質問をしないでくれよ!どっちも大切なんだし。だけどいざ選択を迫られると困るんだよな。

●「そこを社長自身が突破できないのであれば、社内にも広まらないのも当然かもしれませんね」
そりゃそうだ。私の決断次第で、大きく変わるのはわかる。けど変わらないかもしれない。何しろ利他的な活動をしてこれたのも、ずっと売上がついてきたからこそだから。いや、利他的な活動をやってきたからこそ、売上がついてきたともいえる面もあるんだよね。

●「ブランド認知という意味でも、利他的な活動をすることで業績につながる話をよく聞きます。そして利他的な活動をしている・していないということには、温度差があるようですが、その点についてはどのようにお考えですか?」
営業担当者の実績は、全員ある程度揃っているんだよ。とはいえ営業力として質が高いものでもない。つまり安定しているとはいいがたい。質を高めるには相手に役立つ営業でなっていないとだめなんだよ。

●「ということは、今までは極端な話、相手の役にたつかどうかは気にしない営業さんが多かったと?」
そういうことだね。ビジョンを掲げて以降に、利他という言葉に出会った。それでこれだと思った。

●「なるほど。危機感もあり、もう地場のお客様に役立つ方向で考えようとされたわけですね?」
そう、その通り。こういう話をずっと社員の集まりや、営業担当者とのミーティングごとに話してきているのだが、なかなか理解されない。そこで相談したわけだ。

●「うーん、もしかしたら耳の痛い話になりますよ」
いいですよ。受けて立ちますよ。

●「その言葉、絶対に飲み込まないでくださいよ」といって、私は提案書づくりに入った。

➽➽自らがその姿を部下に見せて、利他の心を示すこと

利他とはかくかくしかじかこういう行為を言う、といった説明がある。これはあくまで事例にすぎない。
利他の心を持っているという人はこのような言動をする、といった説明もしかり。
利他の心をマニュアル的に定義した場合は、そのような表現にならざるを得ないだろう。
また「利他の心」というのは、哲学的なものであって、マナー的なものではない。
いわば「教養」レベルの話だ。
 
「教養」を人に説く。
教養的なことだけに、話せば誰でも理解はできるものだろう。
要はそれを受け入れる素地があるかないか。まずここで差がつくことは間違いない。
受け入れたとしても、別の教養が邪魔をする場合がある。
孔子と孟子の違いといったところか。
つまり行動まで移した時にどのような方法を良しとするかということになる。
明らかにこれはもう別次元の話だ。

「利他の心」なる言葉を知らずに最初からそうしている人もいるし、そうでない人もいるということから、既に利他的な行動をしている人はいることは察して余りある。
この違いを明らかにできれば、なにか会社経営上、人材育成上のヒントを得られるかもしれないと思い、私はある提案をして調べることにした。
その違いと得たヒントは、ここに書かないが、結果はこのすぐ上の見出しのようになった。
つまり、提案書の表紙に書いたことだ。
「トップ自らがその姿を部下に見せて、利他の心を示すこと」
表紙の次からは、もう利他の実現に向けての取組のオンパレードだ。

➽まず利他戦隊・リタレンジャーをつくる

ではトップ自らがその姿を部下に見せるだけで十分か?
それだけでは、まず広がることはないだろう。
多少の広がりはあっても長く続くものではない。
なにしろ教養であり、哲学である。
これがカラダに染み付き言動に現れるまでどれだけの時間がかかるか誰にもわからない。
本気でやろうとすればするほど、我慢比べになるかもしれない。

情熱的に引っ張っていくリーダーがいるかどうかは大切だ。
ただこれだけでは無謀な挑戦も平気でやりかねない。
そこで必要となるのは、リスクをしっかりみる、慎重な人がメンバーに必要だ。
つまり情熱的なリーダーに対するストッパー足り得るサブリーダーは絶対に必要となる。
そうすると、リーダーAとサブBの間で口論が派生し、ケンカになる可能性もある。最悪険悪な関係性になってしまうこともあり得る。
そこで必要なのは、調整できる人。AとBからCを作り出すような人。
こういう人がいるかどうかが鍵。最低限でもA∩Bを見出そうと調整できる人が必要だ。
<2021.03.07追記>
現在は、A∩Bの人材はあまり求められていない 今後はA vs BからCを生み出す人が必要とされている。よく聞く言葉でいうと、クリエイティブな人、デザイン思考ができる人ということだ。
この3人がどちらかというと、フロントとなり、表だった行動していくことになる。

次に、総務管理部門とうまく連携して、後方支援をしっかりやってくれる人。つまり報・連・相も含めた情報とその経路を切らさないように社内調整が上手い人が必要だ。

最後に、計画を全体を組み上げていき、臨機応変に計画を組み替えていける人。
つまりはPDCAを早く回し、問題点を見つけて、解決策を素早く打ち出せる人だ。

こういった人たちがいるとフロントの3人は安心して動きまわれるし、建設的な検討も重ねていけるようになる。チームを組めば、かなり早く広まるだろう。
もちろんこのチームの中に企業トップが入っていてもなんらおかしくない。
問題は企業トップがどの役割についても、その役割を徹底すると同時に最終的責任を負うことだ。
そして私はこのチームに「5人戦隊・リタレンジャー」という名称をつけた。








➽ビジョンとの整合性を元に経営企画を練る

5人戦隊・リタレンジャーがしっかりと考える必要があるのは、まずビジョンとの整合性だ。
売上至上主義的なビジョンに、利他的な活動は覚束ない。もっと言うと取り入れるものでもない。
反対に社会貢献的なビジョンであれば、利他的な活動はピタッとフィットする。
しかしフィットしたところで、かってにビジョンが歩きだすわけではない。
ビジョンはあくまで妄想であり、理想であり、構想でしかないのだ。
そこからいかなる活動にしていくか、つまり方向性として利他の心が働き出すことになる。
まずリタレンジャーがこの整合性をしっかりと確認し、構想から経営企画を練ることだ。
この辺りから数字を扱うことになるので、利他の心はだんだん薄れていくことになるので要注意ではある。

➽前のめりになるような経営計画になっているか?

次に中長期経営計画。
ビジョンから整合性を保ちながら、落とし込んだものであれば、その説明・解説を聞く社員は、少なくとも以前よりも前のめりになるはずだ。そうでなければ中長期計画の意味はない
ならなかった場合は、整合性がおかしいか、あるいは、リタレンジャーそのものの存在が利他的ではないと判断した方がいいだろう。
利他は説得するものでもない。どこまで共感を得られるか、その共感に基づいて具体的に動いてくれるかどうかにかかっているわけだ。

<2021.03.08追記>
ビジョンや「利他」を伝えるにはどうすれば良いか?
こちらにまとめているので参照してもらいたい

➽利他は「常にそこにあるもの」

継続はチカラなりとはよくいったもので、一通りやったから、これで終わりだとする発想があるなら、最初からやらない方が良い。
利他の心というものは、ずっと継続していくものだ。ただし、継続していけば良いというものでもない。
???なことを書いているが、強いて言えば、利他の心は「常にそこにあるもの」なのだ。
その心が育つ環境と育たない環境は確かにある。
その差はその環境をつくろうとする者の教養の違いでしかない。

以上のような提案を作成し、プレゼンをした。
坊さんでもないのに、ほぼ説法の世界が繰り広げられたんじゃないかと思う。
そしてこれを丸呑みできるかどうかであって、ここはいいけど、ここななしというのなら、やらない方がいいし、やれるものでもないとも付け加えた。条件つきならこちらとしてもお断りしますということにした。仕事は喉から出るほど欲しかったけども。
果たして私の提案にトップも納得していただけた。

それ以降、このトップは、「利他」という言葉を軽々しく使うことはなくなった。
そのきっかけはこの提案にあったとも聞いた。
提案そのものは、最終的には却下となった。それはそれで仕方ない。
リタレンジャーに該当するメンバーがいないとの判断だろうと察した。
しかし、そんなことはどうでも良い。

しかし、それからしばらくの間、トップ自らが経営幹部と朝早くからミーティングを行い、営業担当者ミーティングにも参加し、資料づくりも時折手伝っていた。それが必要だと判断されたからだろう。
さすがに現場に同行するわけにはいかなかったのだろう、時折、営業担当者とは別に直接、顧客を訪問していたようだ。(と噂を聞いたが、確かめてはいない)

➽➽もうひとつの「利他」

中国からも招聘されたことのある書道家の母から聞いた話。
利他というのは、正確には「亡己利他」と表す。やはり仏教用語。
意味は見たそのまま。オノレをなくして他に利する。それ以上それ以下でもない。
それで母曰く「もうこ、りた」が「もう懲りた」にならんように。と言われた
さすが大阪のオバチャンだ。
日本では最澄が開いた天台宗で「忘己利他」と表したことが始まりとされている。
<2021.3.8追記>
上記の記事は2011年12月18日に書いた記事です。
某グループ会社がビジョナリー経営に本格的に乗り出した頃です
今から考えると、ずいぶんとえらそうな提案だったと思えます。
それぐらいのトンガリも私には必要だった頃だったとも言えます。
反省点はたくさんありますが、「利他」の理解については間違いはないだろうと思っています。
話は変わりますが、最近のキーワードでSDGsがあります。これとて、利他の延長線上にあるといえるでしょう。ただ個人レベルでできることを超えて、社会からSDGsに取り組んでいるか否かの事業者として見られる・ジャッジされていくことになると思うと、やはりルール化・仕組み化していかざるを得ないのでしょう。 
「社会に役立つことに取り組みながらも事業として稼ぎ・儲けを成り立たせていくこと」がSDGsのほんとのところでしょう。SDGsについてはいずれまとめる予定です。
その仕組づくりやビジネスモデルづくりにどこまで利他の心を持ち込めるのかといった難題は確かにあります。 
しかし「SDGs」というわかりやすい言葉は、我々に大きく舵を切れと言っているのです。これは心しておく必要があるでしょう。でも中には「利他」というのは日本のものであって、欧米にはない考え方と言う方もいらっしゃるでしょう。そうした方への回答としては、「altruism」という言葉があります。
話が少しそれました。
かのトップからはそれ以降もいろいろと依頼をしていただけました。
ビジョンづくりや理念づくり、これに基づくリーダーシップ開発などは高い評価をいただけたと思っています。現在私が進めているビジョン・ドリブンの土台をつくらせてもらえる機会を多々いただいた思いもあります。
感謝と尊敬の念はいつまでもあるのは確かです。

まるで「歩くビジョン」とまで言われた人だけに、お亡くなりになったと訃報を耳にした時は、「道半ば・・・」という言葉が思い浮かび、さぞ悔しかっただろう、残念だったろうと思うと同時に、その意志を継ぐ者の萌芽を残していったのだから安心していいですよと思ったものです。
もし今生きていらっしゃるならば、まちがいなく率先してSDGsに取り組んだでしょう。それだけは確信できます。

そして今、実際にその意志を継ごうとする経営者も現れてもいるし、これがそのまた次の世代に引き継がれていけば、その企業は、中小企業といえど、有数の会社になっていくことは間違いないと確信も持っています。

また現在、コロナ禍により緊急事態宣言も2週間延長されました。3/21までとされています。実行再生産数が落ちていかない限り、収束も終息もないと思うと、気も重たくなります。
それでも医療関係、宅配関係もさることながら、飲食店関係やその仕入れ先の方々には、死活問題でもあるので頭が下がります。なんとかならんのか、このジレンマは・・・というところでの戦いは長引くと、精神的にもきついものがあります。
それでも、単に「よろしくお願いします」と済ますよりは、自分の体調と相談しながら、何らかの協力を示していこうと思う今日このごろです。

あわせてコロナ禍に入った頃に書いた「協力意識」についてもご参考になれば幸いです。

 

 


 



 


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