わかったつもりでも、勘違いしたまま

今日、上野駅で発車まで時間があったので、
本屋に立ち寄り、久しぶりにこの言葉を目にした。

「天は人の上に人を造らず」

福沢諭吉の「学問のすゝめ」の一節。
誰もが知っている有名なフレーズ。





そこで思いだした。
以前、私はこの文章の意味を勘違いしていたことを。

20代半ばまで、この意味を「誰もがが平等である」と理解していた。
書かれている言葉をそのまま受取り、解釈しないでいた。
いや、正直なところ、ろくに読まずに、受け売りで覚えていただけだった。
でもそれはちがっていた。
福澤諭吉がいいたかったことは、そういうことではなかった。

そもそも福沢諭吉は「みんなが平等である」とは言ってない。
本当は人に差や違いはないものなのに、残念ながら、いろいろな格差はある。
だから「学び続けること」で、その差を少しでも埋めていくことをしましょう。
ということなのだ。
さらには、「学ぶか学ばないかの差でもある。」旨も述べている。
だから「学問のすゝめ」なのだ。

本屋でこの本を手に持ち、「知っていたことなのになぁ。わかったつもりが、単なる記憶になっていたなぁ」と感じた。
私の頭の中は、20代半ばまで勘違いしていたままになっていたということだ。

知り得ただけ・わかっただけでは何にもならないことを、はからずも自分で証明してしまった。
自分では気づかないところで、わかったつもりになっていないか?と自問自答する。きっとたくさんあるだろうな。


学ぶ姿勢と学ぶこと。さらに活かすこと。続けること。
「それで?どうするのか?」「で、次は何をするのか?」と自分への問いを続けることは大切だと改めて感じた時だった。


この記事は2011年12月20に書いたものです。
新型コロナウィルス感染拡大防止に向けて、今年(2020年)のゴールデンウィークはステイホーム週間になりました。
この際、改めて自身の学ぶ姿勢を見直し、学び、さらに活かし続けようと思った次第です。(2020.04.29追記)



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