2011年12月22日木曜日

「機嫌が悪い」はどこから来るのか?

「機嫌が悪い」はどこから来るのか?
どんな人でも機嫌が悪くなってしまう時は、多かれ少なかれある。
機嫌が悪い状態にある時、「ご機嫌は斜め」とも言っていたりもするが、斜めの場合はいわゆるツンデレの場合が多く(筆者経験)、いわゆるかまってちゃんだと捉えている。つまりわざと機嫌が悪いフリをしているだけなので、あまり気にする必要はないと考えている。

➽➽その機嫌はどんな時に発動されるのか?

じゃあ、どんな時に、人は機嫌が悪くなってしまうのか?
 
自身の目の前で起きているコトやヒトが、自身の期待していたレベルではない状態だとどうなるか?たいていの場合は、「不快」に思う。
期待レベルとの差が僅差であればあるほど、その不快感を長く引き摺ってしまうことにもなるようだ。その差があまりに大きいと、不快感どころか、呆れて笑えてくることもある。
そしてこの不快感は、一瞬にして「怒り」の感情となって、人によっては、表情や声、態度に表れることもある。
余談だが、こういった感情のコントールをできる人を「EQ能力が高い人」という。しかしこれは便宜上そういっているもので、EQの測定をしていない人でもコントロールできている人はできている。(自身のEQ測定はしておくと、自身がどのような時に感情のコントロールが難しいのかが把握できる。)

➽その期待は誰のものか?

機嫌が悪いと顔に出る。この顔は傍で見ていても、気持ちのいいものではない。
長い付き合いになればなるほど、微妙な感情な起伏も表情から読み取れてしまう。
長い付き合いでも顔に出ていると、知らない顔をすることも難しくなるので、その場の空気が重たくなっていくことさえある。
いずれにせよ、機嫌が悪くなるのは、「自分が期待していたレベル以下」のものが目の前にあるからだ。
 
では、コトにしろ、ヒトにしろ、モノにしろ、その期待は誰が決めたのか?
たいていは、自分で決めている。
モノなら宣伝文句に「~が期待できます」というものがあるので、その通り受け取っちゃったという反省で済ませられるし、なんとなれば返品・返金を要求し、二度と購入しないと決めれば、たいていは収まる。
コトであれば、期待以下の体験しか得られなかったのであれば、再現不能な側面もあるので、「なんだかな」と諦めもつくこともある。
ただヒトに対しては期待値以下となると、憤りや怒りの感情が湧くようだ。








例えば、この写真。
上司が部下を注意している。よくある話しだ。
この時、部下がどんな顔をしているのか、顔は見えなくても、拳に現れている。
叱責すれば明らかなパワハラになるので、口調は柔らかく、でも辛辣なことをタラタラと嫌味っぽく言う・・・
部下にとっては黙って聴いているのだが、まともな注意をされていれば、そのまま受け取れるものなのに、だ。
あるいは逆もあるだろう、部下が理不尽な指示命令に納得がいかず上司に抗議している感じだが、上司はスマホを触りながら、軽くいなしてしまっている。
部下にすれば、しっかり説明をしてもらいたいに関わらずなのに、だ。

➽機嫌が悪くなる原因と対処

たいていの場合、この憤りや怒りの感情は、相手にこちらからの期待を伝えていた場合に起きる。
「あれだけ言っておいたのに・・・・」というやつだ。
先程の写真例も含めて「のにのに病」と言っても差し支えないだろう。

期待を伝えていたのに、それ以下のレベルだったんだから、怒りを感じて機嫌が悪くなってもしょうがないではないかと思うだろう。確かに相手に原因を求めていけば、それはそうだ。

反対に、相手は「期待されているレベル」を理解していなかったかもしれないし、「そんなに期待されても困る。」と言えずにいたのかもしれないという発想を持っておくと良い。
こちらも人間、相手も人間、気持ちも感情もある。
ましてや、期待そのものを伝えずに、期待外れだと機嫌を悪くし、怒りだすと、「いきなり怒りだした」と思われるだけで、良いことはひとつもない。

➽➽機嫌が悪い状態が続くとしんどい

機嫌が悪い状態が続くと、期待レベル以下の時はもちろん、他のことにまで苛つきはじめ、更に機嫌が悪くなり、ついには「怒りの持続」へと変わる。いや、単にずっと怒っている感じになるだけだ。
 
あんまり怒らないほうがいいよなぁ。
自分も周りもしんどくなるしね。
人にはそれぞれの流れとペースがあるんだから、
それを認めることで先に進めると思うんだけどなぁ。

私も不機嫌から怒ることはしょっちゅう。その度に自己反省。
「やってしまった・・・・」
そして慌てて一張一弛の「弛」
だけど相手には傷はしっかり残ってる。

傷つけたのなら、薬を塗る必要があるが、これはいったん第三者に依頼した方が良い。

常に穏やかでありたいものだ。

2011年12月20日火曜日

わかったつもりでも、勘違いしたまま

今日、上野駅で発車まで時間があったので、
本屋に立ち寄り、久しぶりにこの言葉を目にした。

「天は人の上に人を造らず」

福沢諭吉の「学問のすゝめ」の一節。
誰もが知っている有名なフレーズ。





そこで思いだした。
以前、私はこの文章の意味を勘違いしていたことを。

20代半ばまで、この意味を「誰もがが平等である」と理解していた。
書かれている言葉をそのまま受取り、解釈しないでいた。
いや、正直なところ、ろくに読まずに、受け売りで覚えていただけだった。
でもそれはちがっていた。
福澤諭吉がいいたかったことは、そういうことではなかった。

そもそも福沢諭吉は「みんなが平等である」とは言ってない。
本当は人に差や違いはないものなのに、残念ながら、いろいろな格差はある。
だから「学び続けること」で、その差を少しでも埋めていくことをしましょう。
ということなのだ。
さらには、「学ぶか学ばないかの差でもある。」旨も述べている。
だから「学問のすゝめ」なのだ。

本屋でこの本を手に持ち、「知っていたことなのになぁ。わかったつもりが、単なる記憶になっていたなぁ」と感じた。
私の頭の中は、20代半ばまで勘違いしていたままになっていたということだ。

知り得ただけ・わかっただけでは何にもならないことを、はからずも自分で証明してしまった。
自分では気づかないところで、わかったつもりになっていないか?と自問自答する。きっとたくさんあるだろうな。


学ぶ姿勢と学ぶこと。さらに活かすこと。続けること。
「それで?どうするのか?」「で、次は何をするのか?」と自分への問いを続けることは大切だと改めて感じた時だった。


この記事は2011年12月20に書いたものです。
新型コロナウィルス感染拡大防止に向けて、今年(2020年)のゴールデンウィークはステイホーム週間になりました。
この際、改めて自身の学ぶ姿勢を見直し、学び、さらに活かし続けようと思った次第です。(2020.04.29追記)



2011年12月18日日曜日

利他を育てるリタレンジャー

このところよく耳にする言葉に「利他」という言葉がある。
ある企業グループでは、1人の熱心なトップがいいだし、そこから広まった。
「利他でなければならない」と言い出した。
その時の私は、「利他」そのものは仏教用語であること、稲盛和夫氏がその経営哲学としてお持ちだったことを知っていたので、何をいわんとしているのかはすぐにわかった。
  
しかし、利他というのはカタチのあるものではない
こうしなければならないというのは、基本的にない話だ。
それをカタチにすること自体はマナーであり、ルールになってしまう。
わかりやすいのはボランティアだろう。
自発的に相手のためのボランティアをする。これ以外にない。
規則としてボランティアに参加するのは感謝されど利他ではない。
そこには自分の意志としての利他がないからだ。
あくまで心の話なので測定することやカタチにすることは」極めて困難なものだ。

というような話しをして、そうはいっても、この心の在りようを広めたいという・・・
なんとも無理難題だなぁと思いつつ、ひとまず話を聞くことにした。

➽➽利他の心を持つ会社にしたい?

●「それは最初からそういうつもりでやってる人達もいるし、そうでない人達もいるということですか?」
そうなんだけど、特に営業の動きを変えていきたいんだよ。

●「いつ頃から、そのようなお考えを持つようになられたのですか?
以前、過去にかなり業績が伸び悩んでいた時期があってね、グループ内で上位になれなかった、その時は諦めようかとも考えたし、今後もトップになれなかったら辞めることも考えるつもりなんだよ。

●「駄目だったら辞めるっていうのは、トップがよく言う言葉として聞いておきますが・・・その考え方自体はどうなんですか?それも含めて利他の心というものですか?」
・・・違うかもしれない。。。いや、明らかに違うな。なんだろうな。私はどうすればいいんだろうな。

<2021.03.08追記>
当時の私は相当エラそうに突っ込んでいたように思えます(苦笑)

●「もう答えはお持ちのような顔をされてますけど?」
まいったな。お見通しか・・・そうだね。まず私が利他の心に立てるかどうかだよね。

●「例えば毎年100万円かそれ相応のことを地域行政関係に寄付することと、同じ金額をお得意様だけへのサービスに当てるのであれば、どちらが利他となりますか?」
売上のことを考えれば、当然サービスにあてることになるが・・・

●「じゃあ、同じ100万円の寄付を地域行政にすることと、同じ金額を社員の賞与に足すのとではどちらが利他ですか?」」
キツイ質問をしないでくれよ!どっちも大切なんだし。だけどいざ選択を迫られると困るんだよな。

●「そこを社長自身が突破できないのであれば、社内にも広まらないのも当然かもしれませんね」
そりゃそうだ。私の決断次第で、大きく変わるのはわかる。けど変わらないかもしれない。何しろ利他的な活動をしてこれたのも、ずっと売上がついてきたからこそだから。いや、利他的な活動をやってきたからこそ、売上がついてきたともいえる面もあるんだよね。

●「ブランド認知という意味でも、利他的な活動をすることで業績につながる話をよく聞きます。そして利他的な活動をしている・していないということには、温度差があるようですが、その点についてはどのようにお考えですか?」
営業担当者の実績は、全員ある程度揃っているんだよ。とはいえ営業力として質が高いものでもない。つまり安定しているとはいいがたい。質を高めるには相手に役立つ営業でなっていないとだめなんだよ。

●「ということは、今までは極端な話、相手の役にたつかどうかは気にしない営業さんが多かったと?」
そういうことだね。ビジョンを掲げて以降に、利他という言葉に出会った。それでこれだと思った。

●「なるほど。危機感もあり、もう地場のお客様に役立つ方向で考えようとされたわけですね?」
そう、その通り。こういう話をずっと社員の集まりや、営業担当者とのミーティングごとに話してきているのだが、なかなか理解されない。そこで相談したわけだ。

●「うーん、もしかしたら耳の痛い話になりますよ」
いいですよ。受けて立ちますよ。

●「その言葉、絶対に飲み込まないでくださいよ」といって、私は提案書づくりに入った。

➽➽自らがその姿を部下に見せて、利他の心を示すこと

利他とはかくかくしかじかこういう行為を言う、といった説明がある。これはあくまで事例にすぎない。
利他の心を持っているという人はこのような言動をする、といった説明もしかり。
利他の心をマニュアル的に定義した場合は、そのような表現にならざるを得ないだろう。
また「利他の心」というのは、哲学的なものであって、マナー的なものではない。
いわば「教養」レベルの話だ。
 
「教養」を人に説く。
教養的なことだけに、話せば誰でも理解はできるものだろう。
要はそれを受け入れる素地があるかないか。まずここで差がつくことは間違いない。
受け入れたとしても、別の教養が邪魔をする場合がある。
孔子と孟子の違いといったところか。
つまり行動まで移した時にどのような方法を良しとするかということになる。
明らかにこれはもう別次元の話だ。

「利他の心」なる言葉を知らずに最初からそうしている人もいるし、そうでない人もいるということから、既に利他的な行動をしている人はいることは察して余りある。
この違いを明らかにできれば、なにか会社経営上、人材育成上のヒントを得られるかもしれないと思い、私はある提案をして調べることにした。
その違いと得たヒントは、ここに書かないが、結果はこのすぐ上の見出しのようになった。
つまり、提案書の表紙に書いたことだ。
「トップ自らがその姿を部下に見せて、利他の心を示すこと」
表紙の次からは、もう利他の実現に向けての取組のオンパレードだ。

➽まず利他戦隊・リタレンジャーをつくる

ではトップ自らがその姿を部下に見せるだけで十分か?
それだけでは、まず広がることはないだろう。
多少の広がりはあっても長く続くものではない。
なにしろ教養であり、哲学である。
これがカラダに染み付き言動に現れるまでどれだけの時間がかかるか誰にもわからない。
本気でやろうとすればするほど、我慢比べになるかもしれない。

情熱的に引っ張っていくリーダーがいるかどうかは大切だ。
ただこれだけでは無謀な挑戦も平気でやりかねない。
そこで必要となるのは、リスクをしっかりみる、慎重な人がメンバーに必要だ。
つまり情熱的なリーダーに対するストッパー足り得るサブリーダーは絶対に必要となる。
そうすると、リーダーAとサブBの間で口論が派生し、ケンカになる可能性もある。最悪険悪な関係性になってしまうこともあり得る。
そこで必要なのは、調整できる人。AとBからCを作り出すような人。
こういう人がいるかどうかが鍵。最低限でもA∩Bを見出そうと調整できる人が必要だ。
<2021.03.07追記>
現在は、A∩Bの人材はあまり求められていない 今後はA vs BからCを生み出す人が必要とされている。よく聞く言葉でいうと、クリエイティブな人、デザイン思考ができる人ということだ。
この3人がどちらかというと、フロントとなり、表だった行動していくことになる。

次に、総務管理部門とうまく連携して、後方支援をしっかりやってくれる人。つまり報・連・相も含めた情報とその経路を切らさないように社内調整が上手い人が必要だ。

最後に、計画を全体を組み上げていき、臨機応変に計画を組み替えていける人。
つまりはPDCAを早く回し、問題点を見つけて、解決策を素早く打ち出せる人だ。

こういった人たちがいるとフロントの3人は安心して動きまわれるし、建設的な検討も重ねていけるようになる。チームを組めば、かなり早く広まるだろう。
もちろんこのチームの中に企業トップが入っていてもなんらおかしくない。
問題は企業トップがどの役割についても、その役割を徹底すると同時に最終的責任を負うことだ。
そして私はこのチームに「5人戦隊・リタレンジャー」という名称をつけた。








➽ビジョンとの整合性を元に経営企画を練る

5人戦隊・リタレンジャーがしっかりと考える必要があるのは、まずビジョンとの整合性だ。
売上至上主義的なビジョンに、利他的な活動は覚束ない。もっと言うと取り入れるものでもない。
反対に社会貢献的なビジョンであれば、利他的な活動はピタッとフィットする。
しかしフィットしたところで、かってにビジョンが歩きだすわけではない。
ビジョンはあくまで妄想であり、理想であり、構想でしかないのだ。
そこからいかなる活動にしていくか、つまり方向性として利他の心が働き出すことになる。
まずリタレンジャーがこの整合性をしっかりと確認し、構想から経営企画を練ることだ。
この辺りから数字を扱うことになるので、利他の心はだんだん薄れていくことになるので要注意ではある。

➽前のめりになるような経営計画になっているか?

次に中長期経営計画。
ビジョンから整合性を保ちながら、落とし込んだものであれば、その説明・解説を聞く社員は、少なくとも以前よりも前のめりになるはずだ。そうでなければ中長期計画の意味はない
ならなかった場合は、整合性がおかしいか、あるいは、リタレンジャーそのものの存在が利他的ではないと判断した方がいいだろう。
利他は説得するものでもない。どこまで共感を得られるか、その共感に基づいて具体的に動いてくれるかどうかにかかっているわけだ。

<2021.03.08追記>
ビジョンや「利他」を伝えるにはどうすれば良いか?
こちらにまとめているので参照してもらいたい

➽利他は「常にそこにあるもの」

継続はチカラなりとはよくいったもので、一通りやったから、これで終わりだとする発想があるなら、最初からやらない方が良い。
利他の心というものは、ずっと継続していくものだ。ただし、継続していけば良いというものでもない。
???なことを書いているが、強いて言えば、利他の心は「常にそこにあるもの」なのだ。
その心が育つ環境と育たない環境は確かにある。
その差はその環境をつくろうとする者の教養の違いでしかない。

以上のような提案を作成し、プレゼンをした。
坊さんでもないのに、ほぼ説法の世界が繰り広げられたんじゃないかと思う。
そしてこれを丸呑みできるかどうかであって、ここはいいけど、ここななしというのなら、やらない方がいいし、やれるものでもないとも付け加えた。条件つきならこちらとしてもお断りしますということにした。仕事は喉から出るほど欲しかったけども。
果たして私の提案にトップも納得していただけた。

それ以降、このトップは、「利他」という言葉を軽々しく使うことはなくなった。
そのきっかけはこの提案にあったとも聞いた。
提案そのものは、最終的には却下となった。それはそれで仕方ない。
リタレンジャーに該当するメンバーがいないとの判断だろうと察した。
しかし、そんなことはどうでも良い。

しかし、それからしばらくの間、トップ自らが経営幹部と朝早くからミーティングを行い、営業担当者ミーティングにも参加し、資料づくりも時折手伝っていた。それが必要だと判断されたからだろう。
さすがに現場に同行するわけにはいかなかったのだろう、時折、営業担当者とは別に直接、顧客を訪問していたようだ。(と噂を聞いたが、確かめてはいない)

➽➽もうひとつの「利他」

中国からも招聘されたことのある書道家の母から聞いた話。
利他というのは、正確には「亡己利他」と表す。やはり仏教用語。
意味は見たそのまま。オノレをなくして他に利する。それ以上それ以下でもない。
それで母曰く「もうこ、りた」が「もう懲りた」にならんように。と言われた
さすが大阪のオバチャンだ。
日本では最澄が開いた天台宗で「忘己利他」と表したことが始まりとされている。
<2021.3.8追記>
上記の記事は2011年12月18日に書いた記事です。
某グループ会社がビジョナリー経営に本格的に乗り出した頃です
今から考えると、ずいぶんとえらそうな提案だったと思えます。
それぐらいのトンガリも私には必要だった頃だったとも言えます。
反省点はたくさんありますが、「利他」の理解については間違いはないだろうと思っています。
話は変わりますが、最近のキーワードでSDGsがあります。これとて、利他の延長線上にあるといえるでしょう。ただ個人レベルでできることを超えて、社会からSDGsに取り組んでいるか否かの事業者として見られる・ジャッジされていくことになると思うと、やはりルール化・仕組み化していかざるを得ないのでしょう。 
「社会に役立つことに取り組みながらも事業として稼ぎ・儲けを成り立たせていくこと」がSDGsのほんとのところでしょう。SDGsについてはいずれまとめる予定です。
その仕組づくりやビジネスモデルづくりにどこまで利他の心を持ち込めるのかといった難題は確かにあります。 
しかし「SDGs」というわかりやすい言葉は、我々に大きく舵を切れと言っているのです。これは心しておく必要があるでしょう。でも中には「利他」というのは日本のものであって、欧米にはない考え方と言う方もいらっしゃるでしょう。そうした方への回答としては、「altruism」という言葉があります。
話が少しそれました。
かのトップからはそれ以降もいろいろと依頼をしていただけました。
ビジョンづくりや理念づくり、これに基づくリーダーシップ開発などは高い評価をいただけたと思っています。現在私が進めているビジョン・ドリブンの土台をつくらせてもらえる機会を多々いただいた思いもあります。
感謝と尊敬の念はいつまでもあるのは確かです。

まるで「歩くビジョン」とまで言われた人だけに、お亡くなりになったと訃報を耳にした時は、「道半ば・・・」という言葉が思い浮かび、さぞ悔しかっただろう、残念だったろうと思うと同時に、その意志を継ぐ者の萌芽を残していったのだから安心していいですよと思ったものです。
もし今生きていらっしゃるならば、まちがいなく率先してSDGsに取り組んだでしょう。それだけは確信できます。

そして今、実際にその意志を継ごうとする経営者も現れてもいるし、これがそのまた次の世代に引き継がれていけば、その企業は、中小企業といえど、有数の会社になっていくことは間違いないと確信も持っています。

また現在、コロナ禍により緊急事態宣言も2週間延長されました。3/21までとされています。実行再生産数が落ちていかない限り、収束も終息もないと思うと、気も重たくなります。
それでも医療関係、宅配関係もさることながら、飲食店関係やその仕入れ先の方々には、死活問題でもあるので頭が下がります。なんとかならんのか、このジレンマは・・・というところでの戦いは長引くと、精神的にもきついものがあります。
それでも、単に「よろしくお願いします」と済ますよりは、自分の体調と相談しながら、何らかの協力を示していこうと思う今日このごろです。

あわせてコロナ禍に入った頃に書いた「協力意識」についてもご参考になれば幸いです。

 

 


 



 


2011年9月19日月曜日

ワクワクする人としない人は何が違うのか?

ビジョンや新たな手法にチャレンジしたり、何を成し遂げたいか、何をやりたいのかを考えると、思い浮かべたことに対する反応は大きく2つに分かれる。
思い浮かべたことに対し、ワクワクする人とそうでない人。
どっちにしても「成し遂げたいこと」を達成する可能性はある。
しかしどうもワクワクしている人の方がより達成する可能性は高いようだ。

HowToGetExcited










➽➽ワクワクする人しない人の違い

両者とも「目標」を設定している。
その目標の捉え方が大きく違うのだ。

➽目標の捉え方の違い

両者とも、上司から与えられた目標だとしても明らかに捉え方が違う。
ワクワクする人は、その目標を達成することに自分なりに意味を見出しており、価値づけている。「これができたら、自分に◯◯◯をご褒美」といったレベルから「これが達成できれば、それだけこの分野で自分が成長したことの証になる。」といったものまで、その振り幅は様々だが、自分で価値付けることで自身にドライブをかけている

もちろん、そういう価値付けがなくても、ただ新しいことに取組むこと自体が楽しいという人もいる。これはこれで、周囲を明るくさせてくれるから、頼もしさもある。周りもつられてワクワクが始まる感じだ。

反対にワクワクすることがない人は、「とはいってもなぁ」といい続け、現時点から目標を見ていることが多く、その一つ一つの過程もあくまで現時点から見ていることが多い。
多くのリスクや障害を想定し、それをクリアしていくことが可能かどうかという判断が主たる考えになっており、始める前から、取組む前から「無理!」と言い切る人も出てくる。

もちろん新しいことをやること自体、チャレンジすること自体を否定しているわけではなく、単に邪魔くさい・面倒だからということで、できない理由を並べているだけにすぎない人もいる

要は目標を達成した時の自分や周囲の姿を想像しているかいないかの違いでしかない。
どちらにしても目標に辿りつくまでの間に多くのリスクや障害を乗り越えていくことには変わりはない。
ただ同じリスクや障害であっても、違った見方、違った解決策を考えだすのはワクワクしている人のほうが多い

➽ワクワクしていれば、それでいいのか?

ただワクワクするだけなら単なる楽天家と言われてしまう。
実際、単なる楽天家は、その人はいいけども、周囲を困らせてしまう場合が多い。「できるできる。どうやってやるかはみんなで考えれえばいいじゃん」と連発する傾向もあるし、「あの人達にできたのだから、私達にできないわけがない」とスキルや能力の差を見ずに、一人でワクワクしているパターンだ。
ここでいう「ワクワクしている人」というのはそういう単なる楽天家のことを言っているのではない。

➽ワクワクしながら見ているもの

ワクワクしている人というのは、実際は同時にリスクや障害を考えているし、それを乗り越えるには、どうやればいいか、自身に何が足りないかまでも朧気であっても捉えようとしている。

そして乗り越えること自体にも意味付けをし、小さな意味づけを最終的に自分の中で価値づけているということだ。
そして実際には、無謀な冒険はせず、ちょっと背伸びするぐらいのチャレンジの連続を繰り返していく

➽ワクワク感の中にやらされ感はない

こういったチャレンジは、上司や周囲からの意見がきっかけになることもある。上司からの期待を告げられることもある。どちらにしてもしっかりと自分の選択としてチャレンジしている
自分の選択=決めたことなので、そこにいわゆる「やらされ感」はない。しんどいこともあることも含めて、自分が価値付けたことを成し遂げようとする姿勢を持っているということだ。

➽どうすればワクワクしながら取り組めるのか?

それは人それぞれだろう。
しかし共通することはある。
①目標として「何を成し遂げたいか?」の意味を考え、価値付けている
②リスクや障害を乗り越えていた時は自分や周囲はどんな姿になっているかを想像している。
③最終的な目標を達成した時の自分や組織はどんな姿になっているのか?を朧気ながらでも想像している。
④期待に応えようとしているし、自分で決めている。
この4つを問いとして持ち、考えることから始めればいいのだろう。

ワタシであれば、それが面白いかどうかだけだ。
この「面白い」は、会議などでも、目標に1ミリでも近づくことができそうなアイデアが出てきた時に、ワタシは決まって「それ、おもろいな!いっとこかぁ!」と言っている。

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【2018.4.11追記】
「チャレンジに年齢は関係ない。」・・・自らの体験から言い切った48歳女性管理職の生きた言葉です。実際、いつもワクワクしている定年再雇用の高齢の方でもワクワクして仕事に取り組んでいる方は多数いらっしゃいます。

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【2020.08.27追記】
この記事は、2011年9月に投稿したものです。
先日、ベタベタのアナログ営業組織のクライアントで。コロナ禍、コロナ後の営業に求められる姿の話をしました。もちろんオンラインをうまく活用するということが前提になるけれど、それが目的ではなく、手段にすぎず、ベストウェイかどうかわからないということを話しました。業務の進め方がオンラインに移行しつつある現在、これにたいして邪魔くさく思う人もいるにはいるでしょうが、会社が求めているだけでなく、社会全体が求めていることとして捉えておかねばなりませんと言った硬めの話しであったにも関わらず、出産育児休暇で1年ほど休んでいた女性社員がニコニコ顔で「ワクワクしてきたぁ~」と言っていたことから、この記事を思い出し、再投稿した次第です。

2011年9月2日金曜日

自分だけが成長しているのか?

あの人はああだから、こうだからと否定するのはいいけど、「あの人」と5年も会ってないと聞いて一言。「相手がそういう風にあなたのことを思っているとは限らないよ。5年前でしょ?多少は変わってるかもね。」自分だけが成長していると思っていたことに気づかれたようです。気をつけたいものです。

2011年6月9日木曜日

我慢して何となくやりたくない仕事は「分解して書き出す」と片付きやすい

人間の心の中で、一番使っている感情は、「我慢」かもしれない。
それは人を創り出していく最も大きな素かもしれない。
周囲の迷惑を顧みず我儘を開放してみたら、気持ちのいいものだと言われるが、実際にやりきった人に会ったことはない。どこ途中でブレーキがかかる。
おそらく、ブレーキが壊れて人達は、テレビのニュースなどをにぎやかにするだけなんだろう


Bylineから

やる気のあるなしに関わらず、ToDoリストの中にはやりたくない仕事が1つや2つあるものです。かといって、それをやらないわけにもいきません。 そのようなやりたくない仕事は、取りかかりやすいように、より小さな仕事に分解するとやる気が出ますよ。  




2011年3月25日金曜日

正論で協力は得られない


協力という要求

先日、大阪・梅田で東日本大震災の義援金を募集していた。
「義援金のご協力をお願いしま~す」と大きな声で呼びかけていた。
一見、少し胡散臭そうな感じもした。

「もう自分ができる範囲ではした」
「またできる余裕ができればする」と考えていた。

それでそのグループの前を通り過ぎようとしたところ、
一人の女性が私の前に募金箱を突き出し、「よろしくお願いします。」と迫ってきた。

「いや、ちょっと今回は・・・」というと、
「どうしてですか?東北の人が困っているんですよ。」
「急いでるんで、ごめんね。」と彼女をかわして先を急いだ。

「東北の人は待っているんですよ。協力すべきですよね!?」
ちょっとヒステリック気味な声が背中に聞こえた。

阪急梅田駅を目指して歩きながら考えた。

「協力すべき・・・ってなぁ・・・」
しんどい人達だなぁ、あそこまで言われたらうっとうしい。と思った。

協力は相手から引き出すもの


その「引き出す」時に「正論」=「べき論」を持ちだされるとやっかいだ。
それはそれで正しくて、誰もが納得し、同意はする。
同意はするけれど、行動に移すとなると躊躇することは多々ある。

その躊躇には、邪魔くさい、めんど臭い、私はいいとかいろいろそれなりの理由がある。
そんな人にやれ邪魔くさがるな、もっと困っている人のことを考えろと言っても糠に釘。












協力を引き出すにはどうしたらいいか。
別にどうこうというものではないと思う。
一つだけ言えるのは、「こころよく協力しようと思ってくれるかどうか?」だけだ。

協力を得たいのなら、引き出すように考えるべきだ!
ああ、正論を言ってしまったよ・・・あかんがな。

修行がたりんな。




2011年3月21日月曜日

書くことで常に「やる気」を保つ方法

誰だって調子が悪く、やる気が出ず、気分にもムラが出てしまう状況に陥ることはある。
あげく、声をかけられようなものなら、イラっとしてしまい、つい語気が荒くなる人もいる。
そして落ち込み、自分は間違っていないと思い込むようにし、余計に落ち着かないといったイライラループに入っていることに気づかないでいる。

一節によると、こういう自分の調子の悪い時は、それをいい機会だと捉えるようにすればいいという話もあるが、それがなかなかできるものでもない。
調子が悪いことは自覚していても、イラついている自分に気づいている人は、ほぼいない。
気づいていれば、周囲に迷惑や心配をかけてしまうので、大抵の人は、自分自身の感情をコントロールし、「いい機会だ」と捉えることも可能だろう。

➽➽イラつき始める前に手を打つ

問題は、単に「なんか調子が悪いなぁ~」「なんかやる気がしないな~」と思っている段階で自分自身をコントロールできるかどうかだ。
つまり自身がイラつき始める前に手を打つということ。
では何に手を打てばいいか?

➽何に手を打てばいいのか区別する

調子が悪い、いまいちやる気がでないのは、ある仕事のことだとしよう。
まずそのまま、まったく違うことをやってみる。
ただし娯楽方向に行くのはお勧めしない。
ほぼ間違いなく戻ってこれず、楽しかっただけとなる。
なので、その仕事ではない仕事をやってみる。
できれば使う頭が違うものや、考えることが少ないものがいいかも知れない。
(私の場合は、考えることが少ないものが合う)

そうすると、多少、気分が変わってくることがある。
この気分とやる気が出ない時の気分を比較してみると、差が生まれる。
この差はなんだ?と考えて見る

➽➽考えるだけでなく書く

「差」を考えていくわけだが、これを書いていく。
これがポイントだ。
この「差」について書くことによって得られるメリットは2つある。

書くこと自体が面倒なんだけど・・・」と聞こえてきそうだが、それに反論するつもりはない。それはそうだと思うし、否定するものでもないだろう。
ただやる人はやっているというだけのことだ。






➽メリット1:記録として残せる

こういう気分に陥った時は、このようにすると、このような気分になり、イライラ気分は解消され、やる気が上がる。と書き留める。
記録することによって、自分のマニュアル的なものができあがる。

どうも調子が悪く、企画仕事に向かっても、自分のノリが悪い➽机周りの整理整頓を始めた➽すると片付く様子にスッキリしてきた➽企画仕事に戻ることにした。
後で見つけやすくするためにタイトルをつけておくと良い。
例えば、「調子の悪い時の戻し方」といった感じだ。
たったこれだけである。

大事なことは、これがどこに書かれているかを、後からわかることであって、ノートでも日記でもなんでも良い。

ダメだった方法も書いておくと良い。
自分に合った方法は、探し続けていくことに他ならないが、同じことを何度も繰り返すこともある。この繰り返しは無駄に時間を過ごすことになるので、避けたい。そのためにもダメだった方法も書いておく。

➽メリット2:残さず忘れていく

「差」について書いていく時、どうしても上記のように全てを整理しながら書けない場合もあるはずだ。
そのような場合は、ストレスを発散するかのように、「差」に関して思うことをひたすら、書きなぐっていくだけで良い。
ただし、もう考えられないというぐらいまで書き続けること。
不思議なもので、どんどん書いて進めていくうちに、頭の中が整理されていく。
それで気がつけば、自分のやる気がないという状態がどれだけ無駄な時間を過ごすことになるのかを自覚できるはずだ。
そして書きなぐったものは、捨てる。そうすると見直すことはできない。
もう忘れてしまえばいいというスタンスで書く。

ともあれ、書かないことには始まらない。




2011年3月13日日曜日

異常時におけるビジョン・目標とBCP


異常時におけるビジョン・目標の扱い方
---コロナウィルス感染拡大の影響で、企業ビジョンの扱い方に関する相談が何件かありました。
そこで弊社の全クライアント様に向けて、以下、考え方を示します。
といっても、どこも既に取組んで進めているとは思っています。
これは、2011年3月13日に東日本大震災直後に投稿したものを再考・焼き直しをしたものです。(2020.03.07追記)---

<以下、2011年3月13日の投稿>

東北の大地震後2日が経った。
クライアントに連絡するも、ずっと通話中。メールの返信もない。
やはりそれどころではないか、もっと最悪のケースなのか、どちらかだろう。
そういう私自身も、阪神大震災の時のように第2波の恐れがあるので、すぐに大阪に避難し、営業を開始している。
「状況」の変化が激しいとか、連続しているといったものではなく、もはや「環境」が変化してきていると思える。
もし、クライアントに連絡がつけば、おそらく「ビジョンや目標といったものをどう扱えばいいのか?」ということの相談があるだろうと思っていたら、やはり連絡があった。

対策方針の確認

1.まず従業員を守る
2.更に顧客を守る
3.そして事業を守る
という順番になるだろう。

上記1.は国や行政の対策ガイドラインに沿ったものを企業としてやるのが、一応の筋ではあるが、これは期待薄で、後手後手に回ることが予想される。
なので、行政よりも早く、会社として、従業員全員が取るべき行動のガイドラインや方針を打ち出すことが必要になる。
---東日本大震災の時は、中小企業に「災害対策ガイドライン」というものはなかった。作成するにも物理的に無理だった。
今回の新型コロナは、人は動けるのだが、気持ちがひけてしまっている。しかし企業のガイドライン・方針打ち出しは、どこも早かったと思える。(2020.03.07追記)---
ガイドライン・方針では、上記1.「従業員を守る」ことについては、理念に基づき「今、できることは全てやる!」ことに重点を置く。
ガイドラインは早期に作成し、これを従業員と共有、徹底してもらうことはもちろん、「できることはやった」で留まらず「できること」そのものを増やしながら上記2、3へと移行していくことだ。

---自社として取組んでいることを顧客も含め、外部に発信することも必要だ。CSRそのものの考え方を重視しているのならば’、なおさらだろう。(2020.03.10追記)---

弊社の全てのクライアントのように、接客場面が多い業種では、従業員を守ることがそのまま顧客を守ることになる
ただそれだけに留まらず、更に「できること」を増やしていくことで、結果的に事業が守れることに繋がるだろう。
なので、怯まず・ビビらず・たじろがず、積極的な自衛策を取ってもらいたい。
以上のことは最低限のこととして取組んでもらいたいし、すでに取組んでいるだろう。
そしてくれぐれも、「これで十分やった」と留まらないようにお願いしたい。

ビジョンや数値目標の扱い

当然、通常時に設定した目標をやりきるのは、目に見えて「無理」があるし、何より従業員のモチベーションが低下すると思われる。

異常時のビジョンや目標数値の取り扱いに対する私の回答は以下の通り。
1.ビジョンの目標数値はあくまで数年先の長期数値目標なので、これはこれでそのまま変えずにする。
2.ビジョンの定義も変える必要はまったくない。
3.ビジョンからバックキャストした4月以降の来年度目標は、復旧の進捗状況に基づき、再検討を繰り返す。
 ※月次マネジメント中心のところは、週次レベルへ、週次レベル中心のところは、3日次レベルへ以降する。
4.一旦再検討した変更目標は、状況により変更し続けることになることもあり得る。
--しかし変更頻度が多くなると、従業員は不安を募らせ、行動が鈍くなると思われる。なので、その変更頻度の目安は社内で共有しておくことも必要だ--(2020.03.07追記)。
政府や行政の方針に具体性がない、我が国のリーダーシップは他国と比べて劣っていると批判していても、何の意味もない。東日本大震災の時にそれは経験済みだ。同じような批判をしている自分自身を確認した方が良い。
判断は自分達でやっていくしかないので、クチを開けて待っているよりも、できることを全てやっていくことだ。ただ今回の新型コロナは目に見えないので、被害が即時目に見えない。じわじわと後になってから影響が見えてくるというやっかいな状況ではあるので、対策は、やり過ぎぐらいでちょうどいいとさえ思える。(20202.03.07追記)
しかし、この状況、環境の変化によって、物流網が分断されている今、原材料不足や商品の製造・仕入れが供給がままならないこともあるだろう。
動ける範囲の中で、何ができるか、従業員のためには?顧客のためには?属する社会のためには?と考えれば、いろいろとできることは見えてくるはずだ。
一時的に、社内ルールから外れなければならないこともあるだろう。それぐらいの覚悟は必要な時だ。

●BCPの発動


多くの企業の場合、BCPは東日本大震災後に作成していたはずだ。
今回のコロナウィルスの感染拡大状況により、原材料不足、製造が間に合わない事態に陥ることもあり得る。
この場合は、各社はBCPに基づき、各レベルに応じた対策を発動させていくことになる。
加えてある程度、落ち着いてきた頃に、妙な風評被害が出る可能性もある。
これは可能な限り想定し、今のうちから手を打っておくことも必要だろう。
東日本大震災後に作ったBCPに、感染症対策が含まれていない場合は、早急に作る必要はあるが、これは経営幹部が休日を返上してでても、責任者として作り上げることもいとわないでもらいたい。
無駄になるかも知れないではない。
作ったとしても無駄に終わった方が良いということを忘れずに(2020.03.07追記)

●日常習慣という弊害

ガイドラインを発しても、なかなか機能しないことも予想される。
これは方針を受ける側、具体的な指示を受ける側が、つまり社員、従業員などの現場にとっては、指示内容が日常の習慣となっていないことが含まれていると、ついつい忘れてしまったり、思い出しても「まぁいいか」と簡単に流れる。

特に方針に具体策が伴っていない場合は、起こり得る。ガイドラインを作成する責任者は現場の細かいことまで作れればそれでいいが、行き届かない面も多々ある。
大事なことは現場はガイドラインに基づき、自らが判断することだろう。

仮に具体的なものが示されたとしても、つい忘れる、流してしまうことは多々ある。
現場レベルまでの徹底はなかなか大変だろうが、何度も何度も周知していき、耳タコ状態になってちょうどいいと思ってやってもらいたい。

現在、情報は約3日単位でまとめることになるだろうが、外部の情報は毎日注視し、常に「何ができるか?」を考え、即時対応をしていくこと。
先がまったく見えない環境下では、長期的な意思を保ちつつ、目標数値は短期で繰り返し設定して、行動していく。
この難局を共に乗り越えて行きたい思っています。

弊社ではクライアント企業に対して、Skypeを使って、可能な対応を始めています。
--現在はZOOMも多用しています(2020.03.07追記)--

#visiondriven #BCP #新型コロナウィルス対策


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